北海道神宮にはいくつかの「末社」があります。
「開拓神社」の方は,先日このブログでも紹介しましたが、
ほかにもありまして、今日ご紹介するのは、穂多木神社であります。
ほたぎ、というように発音するのだそうですが、
かつて北海道にあった「都銀」で破綻した「北海道拓殖銀行」が建てた神社のようです。
Wikipediaによると、
昭和25年(1950)拓銀法廃止により特殊銀行としての使命を終え、
民間の普通銀行として再スタートした時に、この地に遷座されました。
変わった社名の由来は、
一説によると、北海道の頭文字の発音「ほ」、
拓殖の頭文字の発音「た」、
銀行の頭文字の発音「ぎ(き)」に、
漢字を当てはめたものと言われていますが、真偽の程は不明です。
御祭神:北海道拓殖銀行物故役職員の御霊
祭礼日:合祀祭(三年毎)
由緒:穂多木神社は、北海道拓殖銀行に永年勤務功労のあった物故役職員の御霊を
お祀りするため昭和13年(1938)同行本店に建立されました。
北海道拓殖銀行は明治33年(1900)北海道の拓殖事業に資本を供給する特殊銀行として
設立されその後北海道経済の発展にともない、昭和25年(1950)には普通銀行へ転換しました。
同年、穂多木神社も札幌神社(現北海道神宮)境内のこの地に御遷座され、
現在に至っております。
合祀祭(三年毎)には、新たに物故せられた方々を奉祀するほか、
例祭も関係役職員およびご遺族の参列の下、厳かに執り行われています。
まぁ、北海道開拓は国を挙げての大事業だったので、
その民間資金を確保し、開拓の実を上げるには銀行は欠かせなかったとは言え、
だからといって、一銀行のために
神社が建てられている、というのは、日本人と神社の関係をよく物語っている。
いま、全国に建っている「八幡」社というのも、
武家政権時代の「大企業」とも言える「源氏」が成立に関わっていると言われるし、
王朝時代の藤原氏と春日神社などの例もある。
「一族」の繁栄を願って、このような祭神を奉っていくというのが、日本的なのでしょう。
しかし、明治以降の近代社会の中で
北海道拓殖銀行という一企業がこのような扱いを受けたというのもすごい。
その「奇観」にいつも不思議な気持ちが湧いてきます。
Posted on 8月 24th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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