写真は、沖縄・美ら海水族館に隣接する民家園から。
「地頭代の家」という住宅の正面からのたたずまいです。
沖縄の伝統的な家には、「ヒンプン」と呼ばれる外部自立壁があります。
これは、一般的にはこんなふうにいわれている。
琉球建築の民家における典型的な様式のひとつで、門と母屋との間に設けられる「目隠し」をいい、中国語の屏風(ピンプン)に由来するといわれている。「魔除け」という役割もあるが、通りからの目隠しと、南風が屋敷へ抜けていくように設計されているという。
なんですが、
わたしには、「家格」を表現して、
住む人の人格などを表すと同時に、「かくあれ」という
いわば教育的な、人間の生き方を教え諭すような表現に受け止められる。
世間から帰って来て、そこで世俗的な関係から遮断させられ、
内省的で、心静かな空間に身も心も戻す、
そんなふうな「暮らしの精神浄化装置」のように思えてならない。
まぁそれが、「気品を持ったたたずまい」ということに繋がる。
家というものに、ある精神性を込めていた時代を
わたしたち現代は、記憶として持っている。
しかし今建てられている住宅を振り返ってみれば、
「気品」という精神性概念がいかに欠如しているかを痛感する。
残念だけれど、そういう気分がどうしてもぬぐえない。
わたしは、住宅について取材している人間だと自己規定していますが、
その取材には,当然ながら、空間的なばかりではなく、
時間的な幅も持っているべきだと思っています。
現代の最新知見を家づくりに生かすのは当たり前だけれど、
そういった精神性についての部分は
なかなか論議されることが少ないのだと、なんとなく気付き始めています。
それはきっと「現代」という時代が、
大量生産・大量消費を前提として、資本主義が世界を席巻している
そのような時代を映し出していることを表している。
そういう時代に、少なくとも100年以上、いや、基本的には
永遠にその「家」が続いていくように祈念して建てられるような
「祈り」のような概念は想像しにくいのかも知れない。
歴史的な住宅を見続けてきて
その根底には、そういった「家の永続への祈り」が普遍的にあると確信します。
きっとそういったものが、
「気品」のあるたたずまいとして、
いわば生き抜いていこうという人間の知恵として、
そのまま表現されているのだと思われるのです。
社会全体が、資本主義的競争に勝つことを目的にしたものになって、
日々の株価の動きに一喜一憂するようなものになっているなかで
こういった建物を見ると
雷に打たれるような思いがいたします。
さて、ひとが幸せに生きるとは一体なんなのでしょうか?
Posted on 6月 28th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 古民家シリーズ
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