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人口減少と社会構造改革

あらためてこういう数字を見ていると
なかなか右肩上がりのイメージを持つことが出来ない。
それはそうですよね、ほぼ右肩下がりの人口態様のなかで、
個別のイメージを浮かべるのは困難な作業にならざるを得ない。
 
なんだけれども、
このように人口構成は変化していくことは自明なのだから
こういう経済社会環境の中で生き延びていくことを考えていかなければ。
表を見て、まず第1には、高齢者の占有率が増えていくけれど、
これまでの社会が想定していた、「引退」ということが、
現実的なことなのかどうか、もう一回考え直すという手はどうなのかと思う。
こういう作業は、実はいろいろやられていて、
男性の高齢者が寝たきりになる、介護が必要になる率は、
死亡する直前の1年前くらいにドンと増えるだけで、
それまでは、健常な状態の高齢者が9割以上なのだと言うことが明示されていた。
一方女性の場合には、ほぼ平均寿命に従って、
なだらかに要介護の率が高まっていくのだそうです。
そのような健康状態の実態をよく見ていくと、
ロボット化などの技術発展をあわせて考えていけば、
「高齢者でも問題なく出来るように仕事を変えていく」
というような、社会目標も可能なのではないか。
「仕事」の革新で、より体力の必要な仕事に高付加価値を付けて
基本的には体力的個人差の出にくい作業分野で
高齢者が主体になるような領域を意図的に開拓していくことは可能ではないか。
そういう社会構造改革を行って行きつつ、
徐々に社会保障支給を減らせていけるようにシフトさせられないか。
というようなアナロジーが頭に浮かんでくる。
わたしはことし60歳になりましたが、
友人たちの中では確かに罹病率は高まってはいますが、
健康で、全く元気な人は多い。
病気を持っていながら、いわば一病息災という人間も散見する。
たしかにわたし自身も、より休養は不可欠になって来ていると思いますが、
その分、体力を使っての欲求充足というものも減少し、
比較すると、あんまり体力を使わない楽しみの開発が進む。
まったく新しい興味分野の開発は挑戦していきたいと思っている。
労働時間について、健常高齢者は6時間労働とかにすることで、
「生産可能人口の減少」をかなり激変緩和できるのではないか。
これまでこの問題、
わかっているのに、本当の意味ではまったく行動指針が示されていない。
そうであるということは、
現在の社会の意志決定システム・管理運営システムが
破綻してきている、あるいは現状に適合していないことを明示している。
やはり行動で、実践で変化を作りだしていく以外にはないのだろう。

「日本人って、そもそも国家戦略って考えられない、弱いのではないか」
「国家戦略って、そもそもヨーロッパの、お互いを殺し合ってきた歴史を強烈に持っている国の人間が他国を欺すために考え続けてきた体系なんですよ」
「そうですか、なるほど。一方日本は基本的にはそう強烈な殺し合いを経験していないし、国内的、身内的な安定重視で、きていますよね。」
「そうですね、第2次大戦でも、あの局面での国家戦略のなさ、そして身内にしか通じない論理で、無謀な戦争指導になっていったのですよね」
「こういう戦略を考えられるような教育システムも持っていない・・・」
・・・、上記はある知識人の方との会話だったのですが、
現状のこの社会の方針の無さを、的確に表しているなぁと、
そのとき、ものすごく頓悟させられた会話だったと思っています。

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