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蒸暑の夏・日本の窓

きのうは札幌を出て、仙台まで移動。
朝早い時間には空模様は、まだ持っていたのですが、
6時を過ぎたあたりから激しい雨になってきて、
クルマで出掛けはじめた8時過ぎにはかなりの降雨状態。
千歳に向かう高速道路では、一部で集中豪雨のような様子で
これはフライトもあぶないかな、ということでしたが、
無事に仙台に到着。ごらんのような厳しい蒸暑の夏、真っ盛りですね。
ことしはくっきりと津軽海峡あたりが気候の変化ラインになっているようで、
その違いが明確です。

こういう時期には、
蒸暑の夏を乗り切る建築的な工夫を見たくなる。
写真は、先般来お見せしている水戸偕楽園・好文亭。
軒の出が深くとられ、その下の縁側空間は、日影が演出されています。
庭の緑からは、気化熱で蒸発する水分があるでしょうから、
それこそ自然エネルギーを活用した天然のクーラー環境が作り出されている。
無意識な知恵として、緑化は夏の蒸暑対策の基本だったと思います。
現在進めている「自立循環型住宅の設計指針」でも、
自然エネルギーの利用という部分の基本にあたる。
それから建築的な日射遮蔽空間としての深い軒があって
気化熱によるかすかな温度変化の結果生じやすい風を
やわらかい建築の皮膚のような紙の開口部・障子が受け止めていく。
大屋根で日影が作られている室内には
板の間や、植物繊維で織り上げられた畳の床が、
住む人の足の裏に、そこに生じる微妙な温湿度変化を伝達させる。

一方で、縁を取っていない側では、
ご覧のような開口部仕様になっている。
いわゆる「押し上げ窓」ですが、
板戸がつっかえ棒で跳ねあげられていて、
それ自体が軒を形成するように考えられている。
このようなワンクッションで、気化熱で温度低下が図られた庭からの薫風が
室内に導入されていく。
簡便な窓の開閉装置が、人間の感受センサー能力をフルに使っている。
簡単であればあるほど、こういう人間能力への教育効果もあるのではないか。
あ、きょうは少し蒸しているなぁ、半数だけ開けておこうかとか、
これから雨が落ちてきそうだから、締めておこうとか。
繊細な感受性を日々、鍛え上げていくように思われる。

現代の住宅は、
こういう人間の繊細さを家電製品で置き換えて
皮膚感覚的には鈍磨させる方向にひたすら向かってきていたと思います。
こういう部分がなくなっていくことで、
他者への「思いやり」とか、情緒の部分での鈍感さが拡大するのではないか。
日本人のこうした伝統的な知恵を
現代人がもう一回しっかりカラダに叩き込ませることが
自然エネルギーへの繊細な感受性を研ぎ澄ますということになり、
省エネでも、一番大きな効果をもたらすのではないかと思う次第。
それがひいては、日本が自然エネルギー活用の知恵で
省エネな世界を作っていく最良の戦略になっていく可能性もある。
ただし、これでは「産業の知恵」にはなっていかないか?
国家を建築する、日本の「工学部」としてはそれは困るのかなぁ・・・。

というようなことを
クーラー冷房に頼った空間で書いているのが
悲しいいまの日本の現実ではありますね(笑)。

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