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原爆の惨禍、その時代に

やはり日本人であるなら、
死ぬまでに、一度は見ておかなければならない。
そんな思いは持っていたけれど、
罰当たりにも、これまで一度も見たことがありませんでした。
原爆ドームと原爆資料館。
わたしは1952年生まれです。
原爆の投下、終戦は1945年。
日本が未曾有の体験をして、そこからまだ7年という時代に
わたしはこの世に命を受けた。
「ピカドン」とか、ケロイドとか、
そういったことばが身近に存在している時代だった。
起こったことの概略は知識として知っているし、
また、一種の身体化したものとしての戦後社会の原点意識も
共有の物として、認めてもいる。
しかし、やはり、この地で資料館を見て
そして原爆ドームを見ることで、まったく違う認識も持つ。
そこでその惨禍に遭遇した人々の実像が迫ってくる。
そしてまた、その惨状に自分の命も省みず、救援に立ち向かった人々の記録。
自らも傷つきながらも、被災者に対して「傷害証明」を必死に発行し続けたという
ある警官の記録映像に、そこでそのときにできることを
懸命にし続けた人間の姿を見ることができる。

原爆の投下からの記録が綴られた年表の
自分が生まれた年にどうしても見入ってしまう。
こういう余韻の中で、わたしはこの国に生まれたのだ、という事実が
まっすぐに自分に向けられてくるように思う。
いまふたたび、大震災から原発事故という
民族的な困難のさなかにわたしたちはいま、立ち至っている。
結局、いま、なにができるのか、
ということを日々、続けること。
それしか、わたしたちにできることはない。
今できることを精一杯、やること。それがこの年表に込められた
ほんの1行の行間に込められた人間の努力として
結果していくことを信じ続けていくしかない。
しかし、わたしたち日本人は人類史の中でもきわめて稀な体験を
なんども繰り返し体験する民族であるのかも知れない。
ほんの1時間ちょっとの見学でしたが、
こうした機会を持てたことに感謝したいと思いました。
犠牲になられた人々の魂に、合掌。

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