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厳格な社会運営のコスト増を考えよう

先週から東北各地を講演や取材、会議などで転々としております。
その間、原稿を書いたり、講演データの作成やら、
メールでの仕事のやりとりなどが宿泊先のホテルで続いております。
どうしても生活は不規則になって、
深夜にパソコンに向かって作業するようなスタイルになってしまいます。
メールを受け取る人たちは、ありゃりゃ、いったいどういう生活をしているの?
という状態だと思われます(笑)、申し訳ありません。
しかし、本当に情報端末・インターネットの便利さがあってはじめて
こういう環境でも仕事が出来るものだなぁと実感させられますね。

なんですが、
情報化時代になって、こういう情報の取り扱い方、
いろいろ考えさせられることが多くなってきています。
たぶん、情報というものが、社会から厳しく選別されはじめて来ている
そんな時代になっているのではないかと思っております。
そういうなかでメディアのありようも、大きく変化して行かざるを得ない。
少なくともメディアに携わる人間は、このことをアタマに叩き込んでおかねばならない。
なにを情報発信すべきか、について、取捨選択眼が厳しく問われている。
そんな風に考えている中、
朝日の先日の巨人軍報道の1面トップ扱いにはびっくりさせられましたが、
一方で、読売新聞のインターネット版で見た記事にも、むむむ・・・であります。
以下、要旨抜粋。

ガソリン代も市に請求…支援公用車占有の市議

 宮城県気仙沼市の離島・大島で地元市議(60)が支援物資として名古屋市から贈られた公用車を占有していた問題で、この公用車のガソリン代は市が支払っていたことが新たにわかった。市議は公用車を私用で使っていたことを認めているが、給油時にナンバーを記録するようになった9月以降だけでも、5回で計220リットルを給油し、2万5760円を市が支払っていた。
 読売新聞は情報公開請求で、公用車にガソリンを供給するガソリンスタンド(GS)が、給油時にナンバーを控えるようになった9月8日以降、GSが市に提出した請求書と車のナンバーを控えたメモの写しを入手した。それによると、市議が占有していた公有車は、9月23日〜12月22日に5回、計220リットル(計2万5760円)を給油していた。読売新聞が市議に取材を始めた12月末以降は給油実績がなかった。
 同GSでは9月8日以前も市の公用車にガソリンを供給していた。ナンバーを控えておらず、詳細は不明だが、関係者によると、市議は9月8日以前もこのGSで給油していたという。市議は取材に対し、公用車を私用で使っていたことを認める一方、「ボランティアを送り迎えしたり、島を案内したりしていた」などとし、災害対応に使っていたと説明した。しかし、公用車の運行記録はなく、公私の区別は不明だ。大島出張所に詰めていた職員の一人は夏頃、市議が公用車を自宅に持ち帰り、買い物などに使っていたところを目撃したため、「ガソリン請求できるのは公用で使った分だけ。(ガソリンを)入れすぎではないか」ととがめたという。こうした事態について、菅原茂市長は「本土では、災害対応にあたる民間の車のガソリン代は、ボランティアセンターが負担していた。大島では、代わりに市が支払った」と説明。ガソリン代をチェックする市危機管理課の担当者は「公用車は、てっきり災害対応だけに使われていると思っていた」と話す。

という記事が、一時は読売インターネット版の2番目のトップ記事だった。
・・・不正は確かに行われていただろうと推測されます。
どんな不正も、罰される必然性はある。しかし、交通違反をメディアが報道すべきかと言われれば
そうではないでしょう。なんでも報道すべきかと言われれば、
そこには、そうするべきだとする「編集姿勢」が不可欠だと思います。
この記事の報道姿勢は、みんなの善意で送られたクルマが私物的に利用されているのは
けしからん、というものでしょう。
・・・しかし、
こんな些細な、それも根拠がまだハッキリしない島の中での暮らしとも公用とも
明確でない事態を、全国誌である読売が書き飛ばして
いったい、どういう社会的な意味があるというのか?
申し訳ないけれど、大衆ヒステリーに依拠した安易な報道姿勢を
強く感じた次第であります。
新聞記者のレベルの低下ぶりは本当に著しい。
で、こういう報道が為される結果は、どういう事態が進むかと言えば、
やはり公的な活動の停滞、厳格運用による時間の遅延が引き起こされるのは明白だと思う。
「公用車の運行記録」って、そんなものを一々、災害復旧が最優先されるべき現場で
「不備だ」などとあげつらうメディアの人間とはなんなのだろうか?
そういうことに人手を使わなければならないとすれば、
公的な仕事はどんどん増えていく一方だ。情報化社会になってこういう仕事はハッキリ増えている。
ただでさえ、取り組まなければならない仕事は山ほどある中で、
そんな「厳格運用」を地方自治体に強いようとする報道の姿勢は、常識の理解を超えてしまう。
こんなことをあげつらうよりも
政治と行政の「復興遅延」について、警鐘を鳴らすことの方が
大きなテーマになるべきではないのか?
ふだんからどうも最近の社会の、厳格さが正しさであるであると誤解する風潮、
そういうことを助長させる報道の姿勢について大きな疑問を感じざるを得ないのです。
こんなレベルの記事を全国誌として掲載する
編集キャップの姿勢も含めて、メディアのありように強く疑問を感じます。

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