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三陸海岸線

きのうは岩手県に入って
盛岡に宿泊して、岩手のドットプロジェクトの
長土居さんと面談後、
宮古の甲斐谷建設さんの取材に向かいました。
東北地方は、きのうまでの晴天が一転しての土砂降り。
いつも思うのですが、東北はほぼ真ん中の「中通り」的な地域と
太平洋岸の三陸海岸線地域〜平坦な平野部海岸線地域、
そして、日本海側地域というように
大別して3地域というのが大まかな印象。
で、太平洋側は概ね漁業による生業で支えられた地域です。
盛岡から宮古までは約90kmなんですが、
いつも、3時間近く掛かる。
山道で道幅も狭く、うねっているのが大きいのでしょうね。
時間が読みにくい。
途中、自衛隊の車両と何度もすれ違う。
戦場的な雰囲気につつまれています。
甲斐谷さんからのお話しで、三陸側での住宅被害の様子が
つぶさに伝わってきました。
宮古市内での状況では、津波のあとの火災での被害が大きかった。
流されてきた建物やクルマが邪魔して、
いま燃えている建物の消火作業が、現場にたどり着けなかった。
地震の発生後、甲斐谷さんは即座に現場を離れて
大動脈の国道45号線を避けて
より山側の抜け道をたどって
自宅にたどりついて、津波を迎えたそうです。
普段からの津波への対応力が発揮されて
大工さんたちやスタッフは無事だったそうです。
津波災害への無力さを感じながらも
しかし、お話を伺っていると、
いろいろな示唆に富む事例も聞くことが出来ました。
生業としての海辺での居住住宅とは別に
より高台に「津波避難用」の小型住宅を建てていて
そこに逃げ込んで、いのちを繋いでいたというお宅もあったそうです。
さっそく伺ってみましたが、
広さは約16坪ほどという小型住宅ですが
現在は4人で暮らしている建物。
大震災後、その先見の明を多くのひとから羨ましがられるのだそうです。
震災に遭遇すると、すぐに避難所での不自由な暮らしを強制される。
これが、ものすごいストレスになって襲ってくる。
仮設住宅といっても、2年間しか住めないのなら、
むしろその予算を、今回の予算規模では1戸あたり238万円だそうですが
各戸に配分して、自力建設費用としてプールした方が
よっぽど合理的で、生活への希望に繋がる、というお話しです。
「仮設を出なければならない2年後」
というフレーズが、ここで暮らす多くの人たちの
最大の関心事であるのですね。
まことに考えさせられるお話しです。

宮古での取材を終えて
その後、三陸海岸線を北上しました。
点在する漁業を生計とする集落は、どこも壊滅的状況。
高齢化している状況の中で、
再建の方向性は、どのように展望できていくのか、
深く思い至らされるものがありました。

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