ことしの大河ドラマでは「中庭」に隠れたスポットが当たっています。
将軍の住まいでは中庭に面した「縁」が繰り返し画面に映るし、
そのセットを活かしたのか、信長の居館シーンでも繰り返し出てくる。
光秀が尊崇した義輝の最期は、この中庭で討たれるというものだった。
大河ドラマ「麒麟がくる」建築考証担当、広島大学名誉教授 三浦正幸先生の情報は
この時代にはまだ民家では土間が主流だったなど、
非常に興味深いのですが、この中庭のシーンについての解説はまだ聞いていません。
ただ、様式などの研究成果は当然反映されているでしょうから、
この時代の幕府施設では中庭・縁空間は重要な緩衝空間だったと目せる。
多数人物キャラやストーリー説明ドラマシーンとしていい背景設定としたようです。
基本的に平屋主体の建築であれば、その空間相互を機能的に
活かすためには、縁とか廊下の役割が高くなると思いますが、
そのなかでも四周が縁で囲い込まれた中庭が繰り返し映し出されるのです。
ドラマとしても重要な「場面転換」シーンとしても欠かせない背景。
こういった「中庭」空間って、いわゆる農家住宅などにはあまり見られない。
逆に「にわ」という名詞は農作業のための室内土間空間に名付けられる。
都市住宅としての京町家では当時の固定資産税基準が間口の広さだったとされ、
必然的に極少の間口に対し長い奥行きという間取りが採用され
坪庭的中庭を取り込んでもいるけれど、貴族や武家の高級住宅では、
生活機能的な間取りではなく、様式的・格式的な間取りとして
中庭という発想があったように思われます。
空間の初源的には中国の高級住宅である「四合院」が思い起こされる。
写真は本日で3日目の福島・堀切邸であります。
こちらでは玄関と反対側、奥座敷が縁に面しており、その縁を介して
蔵が3つ対面側に建てられている。
渡り廊下でこの間が繋げられていて、すばらしい空間の句読点になっている。
その蔵も、奥座敷側には「中蔵」と「新蔵」が面しているのだけれど、
ふだんの居住空間である炊事場、茶の間、勝手口などに相対しているのは
「道具蔵」というように仕分けられている。
きっと、生活上の細々とした生活具などはこっちに収納され頻繁に出し入れされ
一方の「中蔵」と「新蔵」の方にはいわゆる「お宝」的なものが納められたように思える。
そのどちらへも渡り廊下がアクセスになっていて、
いろいろな生活シーンが思い起こされていました。
奥座敷で賓客と対面するときには、渡り廊下を渡って
「実はご覧に入れたいものがありまして、どうぞこちらへ・・・」
というような密談的シーンが浮かんでくる。
「おお、堀切、おぬしもワルよのう、ぐふふ」だったのか(笑)。
一方の普段使いの道具蔵とは家事の女性たちが
「お正月の飾り物、たしか蔵の奥の方にあったわねぇ・・・」というように
忙しく立ち回って往復するようなシーンが浮かんでくる。
ただどちらも中庭というクッション装置があることで、心理的結界効果があった。
こういう外ではない外部空間、いわゆる「中間領域」というのが
暮らし方に奥行きをもたらせていたように思います。
Posted on 12月 9th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.