写真はある古民家施設で囲炉裏を囲んでの子どもたちの様子。
っていうか、その履いてきた靴の様子がなんとも楽しくなってしまった次第。
わたし自身、母親から靴の履き方、揃え方を諭された強烈な記憶がある(笑)。
わたしは幼い頃、靴の右左に無頓着で、よく反対に履いていた。
母親はいつ言おうかと考えていたのでしょうが、あるとき玄関で
「見てごらん」と言って、靴の右左を教えてもらった。
いつもやさしい母親が真顔で諭すので深く足下に気付かされた。
「そうか、靴って右足、左足で違いがあるんだ・・・」。
その記憶が鮮烈、強烈に残っている。まさに三つ子の魂、百までもというヤツ。
日本人の「しつけ」としては、こういう靴の脱ぎ方について
作法として親から言われることが一般的なのでしょう。
なのでこういった場面、状況の場合は、ここから帰るときの進行方向に向かって
両方の靴の先っぽを向けて、2つの靴を左右も整えて脱ぎそろえるのが理想。
この場合には画面の上側に囲炉裏の部屋があるので、上から下方向にそろえる。
しかし、この見えている靴12足でそういった「傾向」が辛うじて見えるのは
最右側の1足だけという状況であります(泣)。
この1足にしても上がり床面からは遠い位置なので、やや減点対象。
しつけの観点からはまことに嘆かわしい日本民族の未来であります。
しかしまぁ、子どもたちにとっては楽しい「囲炉裏」体験のソワソワの場面。
われ先に、他の子よりもいい場所を確保したい一心がそうさせたのかも。
しかし、そういうしつけ問題とは別に、しげしげと見ると
靴の脱ぎ方の様子で、なんとなく性格とか人間性とかが表現されていてオカシイ。
よい子の模範的な揃え方は、それはそれで素晴らしいけれど、
大混乱しているような靴の盛大な乱雑さも、これはこれでなんとも可愛い。
物心ついて、あるいは大人になって、では確かに困るけれど、
天真爛漫なこどもらしさがそのまま表現されているようなのは魅力的。
「おお、囲炉裏だってよ、もち食べられるかも、うまそう!」
というような心の動きが正直にこの脱ぎ散らかしから漂ってくる。
もちを食べさせながら話をするのには、こういう不揃いな子どもたちも
オモシロいかも知れないと、ホッコリさせられる。
きっと、その子どもたちに自分との同質性を感じるせいでしょうか(笑)。・・・
Posted on 12月 3rd, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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