いや〜、この家、いまにも暮らしがにおってくる臨場感。
写真は食堂・台所・隣接する食器、食材収納の様子なんです。
かまどがとっても大きくて、食堂側になんと3口の「コンロ」
台所側にはもっと大きな「コンロ」が2口。
そのほかにも右下写真のように、下ごしらえ用かと思われるコンロが1口ありました。
これだと相当の大人数の食事を調理できたことでしょう。
調理にあたる人数も3人くらいは必要だったと思われます。
左下の写真は、泡盛の瓶などが置かれている保存用食材などの収納室。
正面奥には格子の建具がはめられていて、食品の保存に配慮していることが明快。
食堂の隣、奥まった部屋です。
食事とともに、ここから酒を出してきて、楽しんだ様子が目に浮かんできます。
また、その様々な容器などから、沖縄の暮らし、食事の豊かさが、実感できます。
天井から吊されている収納容器がありますが、
これはネズミなどの食害から食材を守った工夫とか。
台所自体は土間空間全体のようです。
ここから外に出ればすぐに、井戸があって、水が得られる。
その右手には家畜の飼育小屋が隣接しています。
ハレの日などには、きっとその家畜をつぶしたりして、ごちそうにしたのでしょう。
沖縄らしく豚の飼育場所は分けられてスペースが確保されていました。
こういう毎日の食生活をかいま見られるスペースで
わかってくるのは、その家、その地方での本当の暮らし心地。
この家は、海からはちょっと高台に建てられていますが、
それでも車では、ほんの5分もあれば海辺に到達する位置。
昔の人の活発な行動範囲を考えれば、
この家で食された素材は、相当にバラエティ豊かなものが想像されます。
っていうか、まぁ、なんでも食べることができたのではないでしょうか?
沖縄は、薩摩に支配されていたとはいえ、中国とは定期的に交易を行っていたし
したがって昆布や俵ものと呼ばれる、中国人が好む海の幸の乾物など
日本全域、北海の海の幸までも流通させていた。
そのうえ、近海の海の幸は日常的に取れた。
豚料理は沖縄の十八番。
野菜の類も、市場などに行ってみると、本土とはまったく違う
でも、何ともバラエティ豊かな食材の宝庫。
なんて考えてくると、まさに天国に一番近い島だったのだろうか?
そんな豊かな生活を感じてきますね。
すいません、食いしんぼなもので、食べ物のことになると
想像力が無限に膨らんできて、止まらなくなってしまうんです(笑)。
って、最後はすっかり食欲の塊みたいになってしまった、
今回の「中村家住宅」シリーズでした。
でもいいよなぁ、こんな沖縄の食事を
楽しい歌や舞いとともに楽しんでみたいですよね、みなさん。
Posted on 3月 19th, 2006 by replanmin
Filed under: おとこの料理&食, 古民家シリーズ
「沖縄は、薩摩に支配されていたとはいえ、中国とは定期的に交易を行っていたししたがって「昆布」や俵ものと呼ばれる、中国人が好む海の幸の乾物など日本全域、北海の海の幸までも流通させていた」
とありますが・・・・歴史の書籍類を読み解く限り、薩摩に支配されていた時代に北海道でゴミ同然に扱われていた昆布を、サトウキビを没収する代わりに送りつけていたとのことです。
それは薩摩の琉球支配を隠しながら中国と貿易を続けさせる為にとった罪隠しとのことでした。
サトウキビの代わりに送りつけられた大量の昆布を工夫して料理していたのです。
沖縄では昆布は採れません。
日本の歴史書では隠されている事実です。
サツマイモも琉球時代に大変苦労して作りあげた唐芋を薩摩に手柄を取られ名前まで没収されたものとご存知でしたか?(人命をいくつも奪われながら唐の国へ渡り、手に入れた芋を琉球へ持ち帰り改良に改良を重ね作りあげた芋だったのです)