住宅のジャーナリズムとして、現代生活の暮らしの器を考える、
それに特化するばかりではなく、その由来にかかわる
人間居住の本質をみつめたい、というのは基本的スタンス。
北海道島の場合、明治以降の「開拓」は現代に直接つながるテーマですが、
しかし人間居住の探究という根源的テーマでは
北海道には縄文からアイヌ期まで強く連関する痕跡が多く残されている。
この「遺産」で世界遺産登録を目指す動きも近年盛んになってきている。
知床の「自然遺産」はあるけれど、人為的な遺産登録はまだない。
遺跡としての「価値」は認定されているのだけれど、
「どこに普遍的な価値があるか」というポイントでまだ決め手がない。
そういった北海道島の古代人間居住痕跡について
きのう、北海道大学学術交流会館でセミナーが開かれました。
図は北海道東部の竪穴住居群の遺跡マップ。
写真は「北海道指定遺跡」の道東・湧別町の「シブノツナイ」竪穴住居群。
北海道の場合、歴史年代的に日本側の平安までの「古代」に
非常に多くの「竪穴住居群」が営まれてきている。
写真のような、集住というレベルを超えたような「都市的」な集落がある。
白く彩色されたような部分すべてが「竪穴」住居跡なのです。
たぶん「普遍的な価値」という意味ではこのような
「非農耕社会としての集住」のありようと社会の生成について
突っ込んだ明晰な検証が突破口になり得るのではとヒントは浮かんだ。
「海での生業の人類痕跡」というテーマがふさわしいのではないか。
いかにもこれは地域としての北海道の存立基盤にふさわしい。
北海道島の在来民族、最終的にはアイヌの人々の文化に結実した
民族的流れとはやや違う異民族的な「オホーツク文化人」に特徴的な
海生生物への漁撈を生業とした地域社会が、はたしてどのようであったか、
そういった強い興味を持って発表を聞いていました。
オホーツク文化人社会というのは、200年くらい定住痕跡があり
一説では道南の奥尻島で648-650年の阿倍比羅夫遠征軍で掃討された。
その後、本拠地であるオホーツク海岸側に撤退し最終的には既存の
地域民族社会と同化していった存在。
かれらは鯨などの大型海生動物漁撈技術に即した生活形態を保持した。
かれらの住居は大型で⒌−6家族が同居するもの。
それはたぶん、ひとつの船を共同する生業の関係ではなかったか、
生活を共にすることで強い連帯感を育み、命掛けの共同漁撈にあたった。
その後のアイヌ期までの民族社会もその流れを受け継いだ可能性がある。
オホーツク文化人がかつて暮らした居住域に重なるように遺跡がある。
わたしとしては、この非農耕「社会」がどのような実態であったか
興味を持っています。人間は単独「家族」だけでは生存基盤を維持しにくい。
最低限の集落「人口」は生き残りの基本だと思うのです。
この社会がどのように「有機的に結合していたか」が知りたい。
そういう問いに対して、かれら社会の特徴把握に迫っている発表もみられた。
整理整頓して、考えていく基本資料にしたいと思っています。
Posted on 12月 7th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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