さて、当社の「旧事務所」建築とは、昨日をもってお別れとなりました。
平成13年から使用してきたので約15年と言うことになります。
設計はURB建築研究所・圓山彬雄氏。
圓山さんからは日本建築学会北海道支部建築発表会で
「倉庫の値段で建築を求められた(笑)」と評されて発表していただいた。
北海道を代表する建築家に、コストのキビシイ要求をお願いして
ほとんど端材の出ない規格寸法を重視した設計をしていただいた。
でもそういうなかでも、見せ場をきちんと作ってくれて、
大開口のファサードは、その後の建築のさきがけとも言えるプロポーション。
木製サッシも、規格寸法サイズを大量に使うといった手法で
品質とコストの両立を目指した。
内部の間取り計画では、1階は柱と梁が規則的に連続。
土間の掘り下げで階高を稼いで、1−2階とも天井高には余裕があって
また、平面的にもこまごまとした感じを持たせない伸びやかな設計。
平面的にも立体的にもゆとりのある建築だと思います。
構造の柱梁は正直に内部に表されていて、
断熱は構造用合板のその外側で「外張り断熱」を採用していた。
15年前の建築ですが、気密性能は0.49というレベル。
いまでも最先端の住宅性能と言っても過言ではない。
デザインとしてはスチールによる造作階段が、外観にも表れていて
キュートな印象を与えてくれていた。
建物は「オール電化」を採用していますが、それをデザイン表現するべく
当初は古電柱を掘っ立てで建て、外部照明としていた。
電気が建物まで「たどりつく」イメージを表してくれていた。
しかし、それだけではなく内部でも「碍子配線」を採用した。
電気が建築のあとから普及した時代、内部配線は露出の「碍子」に
電線が巻き付けられていたのが普通だった。
その初源的な電気のイメージを表現するべく「碍子配線」にこだわってみた。
その当時、この碍子配線は絶滅技術化していて、
碍子自体が、北海道には在庫がなく、全国でも横浜の倉庫にしかなかった。
それを購入したけれど、今度はその「職人さん」探しをしなければならなかった。
ようやく見つかったけれど、その職人さんはあまりにも仕事がなく、
自分の技術を発揮する場に恵まれていなかった。
そういう境遇から「ちょっとアル中気味」みたいという紹介だった(笑)。
しかしその職人さんが初めて現場に現れたとき、
到着するまではやや足下がおぼつかない感じだったのに、
いざ、足場を登りはじめると軽快な動きに一変していった。
「ついにおれの実力を発揮できる」と、その背中が語っているかのようだった。
碍子配線は職人さんがたったひとりで差配していくしかないとされる。
どこにスイッチがあるか、それを踏まえてどう配線していくか、
ひとりの職人に任せるのがもっとも間違いがなく合理的なのだそうです。
夜遅くまでたったひとりで作業している職人さんに付き合って、
心配そうに見つめていた電気工事業者の責任者の視線が忘れられない。
わたしも、その仕事ぶりを見せていただいて、ふだんはデザインとは縁遠い
そういう職人さんの仕事に秘められたプライドをひしひしと感じた。
碍子と碍子の間の電線の張り具合はいまでもまったく「ピン」としている。
コストはかかっていないけれど、ひとの手仕事の痕跡が随所に思い起こされる。
碍子配線はこの現場以降、見学に来た設計者たちの間で評判になり、
その後、あちこちでリクエストされていると聞いています。
わたしからすれば、今回あらたな縁があって、
まるで娘が嫁いでいったような気分がしています。
より多くのみなさんに愛されていって欲しいと念じています。
「この建物を、長く愛してください」というコトバが思わず出てしまった。
幸い経験豊かな店舗ビジネスを手掛けるオーナーさんは理解してくれた。
その思いはきっと伝わったと信じていたいと思っています。
Posted on 4月 28th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: リプラン&事業, 住宅マーケティング
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