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【低俗といわれたマンガが主導する日本文化】


日本の文化をいろいろに感受し続けてきて、
だんだんと自分自身のことについて、いわば回帰的に見つめるようになる。
1960年代からのニッポン文化の潮流はリアルタイムで体験した。
その当時の基調を構成していたのは、
いまふり返って見ると、やはり圧倒的に「マンガ」だったと思う。
それ以前の日本人には活字文化がなにより支配的だった。
そういう「既成概念」から、低俗極まると酷評されていたのがマンガだった。
しかし戦後以降、テレビメディアの映像が洪水のように流れ込んでくるなか、
情報のスピード感は、文字文章の読書から、
画像映像による即物的把握に情報世界の主流が移ろっていった。
ビジュアル情報革命があの時代の特徴だった。
まずは少年マンガの情報摂取感が子どもたちに先験的に刷り込まれ、
そのあとから文字情報摂取が後追いしてきたのが、
わたしたち年代の精神生活の基調を作っている。

そういう意味では団塊に属する兄から
「おまえは、元祖オタクみたいなヤツだ(笑)」と揶揄されてきたけれど、
あとに続く後輩たちのいちばん最初の年代ともいえるのかもしれない。
情報摂取の仕方の変化は、その感受力をも変えるのだろう。
まずは直感的把握がはじめにくる世代。
わたしたちより前の世代は、豊かなリアル世界での経験知が、
少年期などにたっぷりと刷り込まれているのに対して
わたしたちは、まずはビジュアルによる「仮想現実」のほうが存在した。
バーチャル経験が、現実の経験と同時平行して存在した。
この石ノ森章太郎さんの「萬画館」という「文化」施設が生誕地に
ほど近いとはいえ、このように存在し得るようになった社会の変化は
しかし、かなりの衝撃・インパクトだとは言える。
文化は社会の中の人間の生き様を強く反映して変容していく。
低俗だとか、くだらないとか言われるけれども圧倒的に受容されるもの、
そういうものの影響力が、社会を変えていくのだと思う。
俵屋宗達の「風神雷神図」は、彼の生きた江戸初期には、
あのようにマンガっぽい表現だけれど、はたしてどう思われていたか、
「あぶな絵」というような言い方で出現当時、蔑まれたものが、
文化へと昇華していった日本での流れなどを見れば、
ひとびとの生き方の変化が大きく文化発展を促進するモノであることは
疑いようがないのだと思いますね。
わたしというちっぽけな存在が生きたこの数十年でも、
社会変化は確実に生まれるのだと、いろいろ思いが深まった次第です。
だから、面白いのでしょうね(笑)。なにが起こるのか?

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