空間の嗜好性というのは、家具などの演出装置でかなり決まってくる。
最近の住宅取材でよく見掛けるのは、
家具とか、照明器具とかの住み手の「好み」の部分では
インターネット通販の利用率がたいへん高くなっているということ。
空間デザインについて、ユーザーの自由な反応が見られます。
戦前から団塊の世代くらいまでは、いまで言えば「断捨離」に近いような
最小限のモノしか持たない、持てない生活が一般的であって、
戦後、急激に取り入れられた欧米化、いや正確には「アメリカ化」が
そういう状況に対して集中的に日本人の意識に注入されていった。
最近、難波和彦氏の論の中で戦後は「アメリカの住宅政策」が津波にように
日本の国策として推進されてきたという件があり、納得させられた。
日本の国土伝統の中では戸建て住宅は必ずしも普遍性はなく、
生産設備兼用の大型農家や、都市部では中流以上の武家住宅など、
ごく一部の例外的にしか、一戸建て住宅はなかった。
町家とか長屋とかの木造集合住宅が庶民には中心的な住文化であり、
ヨーロッパやアジアなどの積層した住文化でもそっちが主流なのに、
戦勝国の価値感が有無を言わせずに刷り込まれてきた、とされていた。
戸建て住宅は個人主義価値感とセットでもあった。
このことは、戸建て住宅という住文化を豊かには持たない国民性に
強制的に「文化」が注入されたと言っても良い。
だから、その受容第1世代に近い団塊世代には「与えられた」住空間を満たす、
明確な「住まい方文化」の感受性はなかったと言っていい。
なので、テレビなどで拡散されたアメリカ生活文化が
乾いた土地に水を撒くように受容され、大衆社会が容易に実現していった。
畳の住文化の国民にいきなりソファを選べと言われても、
テレビで見せられたモデルを模倣するしかできなかったということでしょう。
この時代、「広告宣伝」の刷り込みは非常に大きかっただろうなと思えます。
そういった集中豪雨のような住文化受容があって、
それからようやく、各人が判断力を持ち始めて、
戸建て注文住宅文化のなかでの「空間デザイン」を考えるようになっている。
一方では、無印とかニトリとかの「規格合理性」への希求も生まれた。
日本人スタンダードへの志向というのは当然に生まれてくるのでしょう。
一方で、そういった流れとはまた違う動きとして、
Amazonなどのインターネット通販は、ロングテール趣向の購入機会としては
非常に優れた特性を持っているといつも感じさせられます。
家具には暮らし方のイメージ力があって、その部分を刺激してくれる。
写真の家具はある時代のヨーロッパの雰囲気をつたえるデザイン。
ユーズド通販オークションで16万円で落札し、配送料2万円で入手した。
この家具を基本イメージにして、ほかの家具や空間内装を決めていった。
20-21世紀のニッポン北海道でのライフデザインは、
時間の経過とともにあるデザイン傾向、文化を生み出していけるだろうか、
ふとそんなことを考えさせられていました。
Posted on 6月 6th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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