北関東栃木県市貝町から出土した8-9世紀の「豪族居宅」。
時空遙かな「取材」であるのですが、興味が深く沈殿しております。
わたしは、住宅を「取材する」ということを仕事にするようになってから、
生活ぶりとかに対する感受性をなるべく磨いていきたいと念願しているのですが、
そういった興味は、現在の住宅にばかり向くとはならない。
はるかな昔日のことを思い起こさせてくれる古民家とか、
古建築、さらにはどうしても「遺跡」の類にもその興味が深まるのですね。
まぁ一種の職業的な環境の成せる技なのでしょうか。
こういった古住居遺跡からの生活痕跡に強く惹かれるものがあります。
で、この「豪族居宅」の主は、墾田永代私財法によって
「土地私有」が公的に認定されるようになってから急速に開発された
いわば開発領主の富を表す居宅であり、多くの建物が建築され
擬制的に「郡司」国衙とも類似した建物群の配置計画となっています。
主屋には威信を表す「四面庇」をもつ建築が建てられ、
同時に数十人規模の食膳を整えうる「大型食堂」建築などもある。
たぶん、初期荘園的な豪族、「富豪の輩」と史書に表記された人々の
生活ぶりがそこから立ち上ってくるような印象がある。
この時代の稲束は、それ自体が貨幣であって、
それを大量に収納させていた高倉建築が林立してもいる。
律令民は過酷な収税から逃れたくて、流民となったとされるのですが、
たぶん空間地理的に「移動」したのではなく、
公地ではない、こうした私有の墾田の方に「まだましだ」と
公民から私的隷属民へと積極的に身分移動して行っていた状況が見えてくる。
公民としてワケのわからない「国家」に搾り取られるよりも
いっそ、顔も素性もよく知っている墾田の「旦那」、お館の私有民に吸収された。
いつの時代にも「格差社会」はドンドンと進展する現実があったと。
そんな時代の実相が、こういった遺跡発掘・研究から立ち上ってくる。
写真の発掘跡は、「氷室」跡だとされていました。
この遺跡の発掘に当たられた日本考古学学会員の
中村信博先生から教えていただいたのですが、
地面を掘り込んで、その底には周辺から採掘される鹿沼石のような素材が
敷き込まれて、「透水性」が確保されていたそうです。
で、その穴倉に「氷」を入れ込んで貯蔵させていたとされていました。
「では、その氷室はいまの冷蔵庫のような利用だったのですか?」とわたし。
「いや、どうもかき氷のように氷自体を食べていたようです」とのこと。
かき氷って、暑い時期にはたしかに涼を満たしてくれるものですが、
それがこの地で1200年前に食べられていたというのです。
その氷も、河川交通を使って日光山系あたりから運んできたモノか、
あるいは、いまでも技術伝承の残る製氷を近在で行ったものか、
定かではないけれど、いずれにせよ、そのような嗜好品的高級食が
1200年前前後に行われていたということの証拠だそうです。
そういった食事が、宴会などのシメのデザートとして振る舞われる光景を
想像してみると、まことに刺激的であります。
たぶん、このまま公地公民で得体の知れない「国家」にいるよりも
この私有地の農業奴隷・私有民になったほうが楽しいぞ、と勧誘されたか、
それとも「富豪の輩」がわが世の春と宴の暮らしを楽しんだのか、
まことにリアリティが迫ってきた次第であります。
Posted on 11月 13th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話, 古民家シリーズ
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