本文へジャンプ

【早朝の父子キャッチボール】

3170

ことしの散歩シーズンが本格的に始まったのは3月からでした。
毎朝、北海道神宮に参拝して、その後、
神宮周辺の円山公園、周辺緑地、動物園周辺などを1周してくる
コースなのですが、途中のグランドで毎朝のように見掛ける父子2人。
最初のウチは、肩の使い方もよくわかっていなくて、
野球の球の投げ方とは相当違いが感じられた坊やの投球が、
段々とサマになってきて、タマに力強さが感じられるようになってきた。
お父さんが受け取るキャッチの音が、小気味よくなってきた。
こころなしか、坊やの投げ方は、大谷君を見習っているかのよう(笑)。
たぶん日ハムの試合を一生懸命応援していて、
知らず知らず、投げ方・取り方を視覚学習しているに違いない。
その「まっすぐさ」に、男の子らしさが香り立っている。
はじめのうちはよちよちとしたかわいらしさが全開だったけれど、
徐々に男子らしいたくましさが出てきたように感じられる。
他人事ですが、その様子を毎日のように見させていただいて、
楽しみにしています。

なぜか、日本の父子の対話で、男の子のケースでは
野球のキャッチボールは、ダントツの定番だろうと思います。
わたし自身の場合は、一番末っ子で兄が多かったので、
男として「壁」になってくれたのは兄たちでしたが、
わたしは、息子に対してその役割を果たすことができていた。
坊主の投げる投球に段々に力強さを感じるようになる歓びは
父子キャッチボールの最大の楽しみ。
ときに意外なほど、ズシッとくるミットの感触は、
受けてみなければわからない野性的な爽快感なんだろうと思います。
たぶん、人類の基本的な生存保証において、
ものを正確に「投擲」して、対象物にぶつけていく行為というのは、
やはり男子としては、ベーシックに存在する不可欠能力。
捕獲したい動物に石をぶつけて打撃を与えてその運動能力の減退を狙うのは、
狩猟採集時代からの人間の基本的能力だったのでしょう。
その「相伝」において、父子の対話的関係は基本的人類記憶。
きっとそういったバイタルな部分が男親としては
強い野生を呼び覚まされる行為なのでしょう。
わが家では、姉弟2人のこどもに恵まれましたが、
弟が父とキャッチボールを始める頃になって、
娘から「わたしも父さんとキャッチボールしたかったんだよ」と
はじけるような笑顔で言われて、何度かしたこともある(笑)。
父としては無性にうれしくて、「なんだそうか、キャッチしたかったんだ」と
ニコニコさせられた記憶もある。

そんな誰もが持っている記憶が
この父子の様子に思い出されて、いつも微笑ましく感じています。
がんばれ男の子! キミは未来の日ハム・エースだ(笑)。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.