一軒の住宅でこんなにこだわって、4回も書き続けたことはないのですが、
しかしまだまだ「見どころ」はあって、興味は尽きません。
日本人が体験してきた「住む」ことの営為が、建築ディテールの各所から
物言わぬ声になってこだましてくるような、そんな気がしています。
また機会を見つけて、ぜひ体感を重ねていきたいとも思っています。
この家を見ていて気付いたのは、
やはり千年を超えると言われる歳月が感じられたこと。
入り口はまるで竪穴住居のような真っ暗な空間に導いてくれる。
土壁が重厚な土間床の空間です。
そこに祈るような造形の屋根が茅葺きで掛けられている。
この列島にひとびとが住み着くようになって1万年以上。
新石器時代が終わって、この列島の場合には狩猟から海産物採取の生活が
基本的なライフスタイルになったに違いない。
住居は最初は海浜の岩倉のような空間が考えられます。
そういう住居痕跡は北海道の余市海岸フゴッペ洞窟などで見られます。
それから、竪穴住居が営まれるようになったのでしょう。
寒冷地域ではより深く掘り込んで、冬の寒さに対して
常時いろりの火を絶やすことなく炊いて土壌蓄熱し、適合居住環境を実現した。
そうした列島古層の基本ライフスタイルに対して、
弥生的米作をもたらせたアジアからのフロンティアが移住してきて
高床式の建築を持ち込んできた。主に南方的生活様式。
社会での上層を形成したひとびとから「床の上」で起居する生活が始められた。
最初は「掘っ立て」として土中に柱を埋め込む方式だったけれど、
徐々に「石場立て」に変わっていって「通風」重視の夏型住居が
「よき住まい」という概念になっていった。
雨の多い気候風土に対応して軒の長い屋根が好まれ、
夏の蒸暑への対策もあって、厚い茅葺きの断熱屋根が普遍化した。
そうすると、その軒先にウチとも外ともいえない曖昧で自由な空間を生んだ。
冬の寒冷への対応は建具の文化で紙の建具から板張りの建具などで対応した。
しかしその住居文化では北海道島の気候風土には対応不能で
ながく日本文化はこの地を疎外して成立させてきた。
そんな日本家屋の「変遷」をこの家では体感することができる。
はるかな時間を経て、北海道の住宅を見続けてきた人間として
この建物を体感できたことがうれしい。
結局自分自身としては、こういう方がDNA的には似つかわしく感じられる。
いまは北方日本人だけれど、
基層では西国的日本人の感受性を色濃く持っているのではないか、
自分自身はどうもそのような本然を持っていると思える次第です。
こういった気候風土でのいごこち感受性を
北方日本で居住環境性としてどうやって実現していくのか、
そんな思いをもった体験取材でした。
Posted on 9月 4th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 古民家シリーズ, 日本社会・文化研究
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