写真は愛知県小牧市の小牧山山頂にある建物。
建物は「小牧城」というイメージを喚起させるかのように建てられているが
昭和の年代になって建築された、個人の建築になるもの。
奇特な方が安土桃山期の名建築「飛雲閣」に似せて建てたものとか。
なので、先日紹介した中尊寺金色堂・覆堂とは経緯が違うけれど、
ちょうど、似たような建物を見てきたので、
つい「あれま、やっぱりコンクリートかよ」と、
がっかりさせられてしまった次第であります。
しかし、これは公共事業ではなく、個人の篤志ということですので、
そう言う意味では、素晴らしいものだと思いました。
まぁ、ただ、木造にして欲しかったなぁ、というのが正直な気持ち。
木造の大型建築って、日本の伝統が目に見えて残されてきている
まさに建築と歴史を繋いできているものだと思うのですね。
京都の街から大型木造建築を取り去ったら、
さてどんな世論が巻き起こるか、たいへんなことになりそうですね。
しかし、現状では大型木造建築というのはたぶん、コンクリートより
ずっと高く付くのかも知れません。
ただ、現状での問題はそういう点ではなく、
日本の建築が、木造を重視せずひたすらコンクリート構造に立脚してきたという点なのですね。
先日来、なんども触れている耐震等級2建築の倒壊問題ですが、
いまだに国交省からも、建築のオーソリティからも
木造構造に対する基本的なスタンスが出てこないのはどうしたことなのでしょうか?
地震国日本で、火事では多くの建築が失われてきたけれど、
地震で倒壊してきた木造はそれほど多くはないのは、なぜなのか。
このことにもっとまじめに国費を向けて欲しい。
どうも明治の建築のベースの作り方が
コンクリート建築に大きく依存した西欧崇拝からスタートしていることが
すべての問題点の核心ではないかと言われています。
建築学会の構成の仕方も、意図的に木造を回避してきている。
木造はいずれにせよ、よくわからないということからスタートしている。
しかし、ヨーロッパでは大型木造建築が
むしろその「サスティナビリティ」ゆえに大いに注目されて
日本の奈良京都の大型木造建築にこそ、現代矛盾解決の方向性がある、
っていうような方向が強まってきていると言われている。
まぁ、このあたりは彼の地の木造関係者からの種々の情報なので
全面的にそうなっているとは思えないけれど、
振り返って、日本の木造建築へのスタンスって
やはりきわめて心許ないものがある。
で、やはり日本らしさというのは、木造の精神文化なのは論を待たない。
そう考えれば、公共的な建築物で木造は大いに考えられてしかるべきだと思う。安易にコンクリートを選択すべきではない。
過去の歴史時代、立派な建築を作ろうとしたら、
やはり依拠すべきなのは木の文化であったのが日本なのです。
そういう歴史とのつながりが、どうもコンクリートしか構造研究が
進んでいかない現実の中で、
多くの精神文化の面で、失われていっているものがあると思うのです。
立派な建築はやはり木造で丹念に作り、
火事に対する細心のメンテナンスを心がけるのが
正しい、日本的建築文化への態度なのではないかと思います。
北のくらしデザインセンター
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Posted on 2月 2nd, 2010 by 三木 奎吾
Filed under: 「都市の快適」研究
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