日本の絵画の様式に、町の様子を一気に伝えるような形式がある。
京都の街のにぎわいを伝える「洛中洛外図」という形式がよく知られていますが、それ以外にも多くの絵図として残ってきている。
こういう絵画形式、ものすごく楽しい。
先日も、「洛中洛外図」のすばらしいものを
上野の博物館で心を奪われるように見ていました。
大体が、ふすま絵として描かれていて
左右が3mくらいあって、天地も1.8mくらいはある。
そういうなかに細密的に、町の様子が掻き込まれている。
その絵では、人物だけでも1000人くらいは描き込まれていて、
いろいろな場面のなかで表情豊かに、生きている実質が伝わってくる。
写真のない時代に、京都の街、というものへの多くのひとの
知的好奇心を満たすための表現形式として発達してきたのでしょうね。
その動機としてはメディア的なものに近いものだったに違いありません。
しかし、そこに描かれている人物たちの、筆によるデフォルメ表現は
まことに直接的な感動を持って伝わってくるものがあります。
「あぁ、そうか、こういうひとたちはこうやっていたんだ」
っていうような、歴史の中のひとこま、断面が
実に生き生きと雰囲気を含めて立ち上ってくる。
日本の職業の中で、京都の街で始まったものって多いのですが、
たとえば、「材木屋」というのは、
日本の公共事業としての大型木造建築が行われると
木材の流通システムが整備され繁盛するのですが、
それが終わったあとも、ためしに京都の街で切った木材を
立てて揃えて販売をしてみたら、思った以上にニーズがあって
それで「材木商」という形式が成立したというように伝えられています。
そんな光景も掻き込まれているような様子から、
こんな風景の中で始まったのだなぁ、と推定が効いてくるのですね。
こういう絵図を見ている地方の人たちにすると、
都ではこんな職業や店が繁盛しているんだ、という驚きがあったでしょう。
こういう絵画には、いくつか共通点もあり、
「洛中洛外図」が典型的なのですが、やや鳥瞰的に角度を持った
高い視線から、町中を大きく見晴らすという形式が取られていますね。
個人的に、こういう表現の味わいにすっかり参っています(笑)。
写真では人間の表情の機微やらがイマイチ伝わらないのに
こういう絵画表現では、典型的な表現としてデフォルメが
描き手によって行われるので、見るものの「知りたい」ポイントに
完全にフォーカスして描くことができるのですね。
いまではこういう表現形式、ニーズが残っているものでもないのですが、
しかし、このまま日本の表現方法として廃れていくのも
どうももったいない気がしています。
こういう良さに気付いて、だれか、表現形式の復興に取り組まないものでしょうか。期待したいと思いますね。
北のくらしデザインセンター
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Posted on 1月 30th, 2010 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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