本日はGW最終日なので、ちょっと住宅ネタはお休みをいただいて
趣味世界にどっぷりとハマってみたいです(笑)。
仕事柄、建築に関連することには興味は尽きないけれど、
同時に建築っていうのは、人間の営みの表現でもあるので、
当然、その積層である歴史にも興味は向かいます。
その両方が同時に充足できるというか、
そういった二面性にふさわしいと思われるのが、神社仏閣の類。
仏閣はアジア世界での共通文化受容という側面が強いけれど、
より在地性、古格を感じさせてくれるのが神社ですね。
ところが、北海道にはそのような歴史はなく、
本来この島の人跡をたどるとすれば、アイヌのチャシということになる。
まぁ、そっちの方もときどき見学させてもらいますが、
やはり考古的感受力の弱さからか、
一気に縄文までこちらの意識を古層に戻さなければ共通性を見出しにくい
アイヌの人たちの感受性世界は、なかなか言語化できない体験。
ということで、北海道内での神社建築見学というのには
どうも余り積極的には向かっておりませんでした。
産土神〜うぶすなしん〜という、その土地に根付いていた神性が
北海道内ではなかなか感じ取ることができないのですね。
でもまぁ最近、道内あちこちと出掛けるときに
なるべくその地の神さまにご挨拶をしようと考えはじめています。
北海道版の「古社巡礼」というのも、誰かがはじめる必要がある。
まだ百五十年、あるいはどんなに古くても八百年程度ですが、
それなりには、土地の出自が見えてくるケースもある。
そういった発掘を試みてみたいという次第。
今回は2社。室蘭八幡宮と、札幌西区小別沢にある札幌御嶽神社。
こちらは「おんたけ」と読むのです。
室蘭八幡宮は、昨年紹介した「函館八幡宮」から
分祀されたことに由来する神社と言うこと。
1874年(明治7年)に漂着したクジラを売った代価を
神社の造営費用に充てたことから「鯨八幡」と呼ばれたという
北海道には珍しく人間事跡が創建に刻印された社であります。
祭神・誉田別尊(ほんだわけのみこと)とは、応神天皇に比定される武神。
全国の「八幡」社で崇敬されている神さま。
ほかに、保食神(うけもちのかみ)琴平神(ことひらのかみ)という
どちらも鯨さんに由来するとおぼしき楽しい2神であります。
建築のプロポーションは端正でシンプルなお姿であります。
一方は、一見して凛々しいお姿の札幌御嶽神社。
この神社はわが家のひと山越えたあたりに鎮座されていますが、
どうもここ十年前ほどにこちらに移ってこられた神さまだそうです。
御嶽というのは、全国的に崇敬を集める「木曽の御嶽さん」であります。
こちらはその北海道支部とでも言える存在だそう。
ちょっとビックリしたのが、主祭神の「国常立尊」〜くにとこたちのみこと〜。
はじめて聞いた名前でしたが、天地開闢とともに示現され、
「全宇宙を治め、天地を造化した大元霊」であって、
「人類をはじめ一切の生命・生命活力の根源」だという神さま。
えっと驚かされるほどのスケール感で、雲をつかむがごとし。
どうも不思議に思って、神人の方に質問させていただいたところ、
御嶽山には、仏教伝来以前、あるいは縄文・弥生のころから、
「山岳信仰」があり、仏教者・空海が大成させた密教思想も習合して、
こういった個性的な神さまが祭られてきているようなのです。
社伝を読むと、出雲の大国主命がヤマト王朝に「国譲り」した当時、
御嶽山をいただく信州にその第3王子を国司として任ぜられた折、かれが
霊峰と感受され、以来、この神さまを祭ったのが創始とされるのだそう。
う〜む、すごい(笑)。
どうも北海道内にも、こうしたロマン性あふれる神さまが
まだ歴史は浅いながらも、日本各地から漂着されてきているようで、
これはこれで、民俗を楽しく感じさせてくれますね(笑)。
これからも、地道に神話の発掘を続けていきたいと思います。
Posted on 5月 8th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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