家の片付けは、なかなか着手ができにくいけれど、
やはり放っておくと、とんでもないことになる。
わが家には、1箇所、できれば見たくないな、という場所がありました(笑)。
でも、きのうは積年のご無沙汰を解消すべく、大掃除に着手。
とはいっても、都合1時間程度でなんとか形は付いたのですが・・・。
まぁ、娘の荷物置き場になっていて、収納コーナー的になっていた場所。
ということなので、おもちゃや、本やらさまざまなモノモノモノ・・・。
親として、想い出に残してやりたいモノもあるわけで、
そういう親の目線で選択しながら、整理していきました。
そういえばわたしも、母親がわたしの高校までの私品を丹念に整理してくれていて、
なんと、ラブレターの類まで取っていてくれていたことがありました(笑)。
いまでも、その段ボールひと箱はわたしの宝箱。
母から、わたしの成長記録を渡されたような気がしたものでした。
時代は巡って、自分自身もこういう作業をすることになるのですね。
親になって知る親のありがたさ、ということか(笑)。
きっと、子どもがどんなことを考えて生きてきたのか、
跡づけられる、確認することができるのですね。
まぁ、今回はラブレターは出てきませんでしたけれど(笑)。
で、きのうのブログでも書きましたが、
現代の日本の状況が端的に見えてくるものです。
モノの総量の異常な多さ。
第2次大戦後、戦争の惨禍から復興していく過程で、
モノへの飢餓感のようなものが、日本中に充満していたのではないか。
きのうも化学製品の便利さが、手作り品の市場を席巻して、
駆逐してしまった事例として、手作りの縄製品のことを書きましたが、
まさに娘が生きてきた時代って、そのものズバリ。
写真が、その整理整頓の結果、ゴミとしか認定できないモノの内、
大部分を占めていたプラスチック製品です。
焼却処分できる「雑紙」類も多いのですが、
感覚では、こっちのプラスチック製品の方が多い。
一応、娘のモノなので、丹念に要、不要を考えながら、
まぁ、間違いなく不要であると決定できるモノを集めた結果です。
というか、プラスチック製品で、これは取っておくべきだ、と
思えたモノは、残念ながらほとんどなかったのが現実でした。
こどものおもちゃの類であり、
そもそも一過性のモノばかりという、そういう側面はあるにせよ、
こういう表面がつるんとした素材には、どうも感受性のヒダというものが感じられない。
「あぁ、娘はこれでよく遊んでいたよな」という感覚がない。
そうであるのに、無自覚にこういう素材製品を看過してきた
親としての怠慢を自覚させられました。
わたしとしてはなるべく少なくさせてきたつもりではあったのですが・・・。
確かに、プラスチック製品にも有用性はありますが、
しかしそれは、ほとんどが大量生産社会の利便性が大きい。
やはり、木製品や金属製品などの質感をもっともっと感じさせながら育てなければならなかった、
と言う反省が起こってきてしまいました。
みなさん、どう感じられるでしょうか?
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び
Posted on 9月 23rd, 2009 by replanmin
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