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室町期の民家内部

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きのうの続きです。
左側写真は室内の全景で、右側は壁の様子。
切妻の三角屋根で、正面には玄関前に前室があります。
ここは、徳川初期の伊達藩と南部藩との境界地域である相去という地域。
歴史年代を通して、そのような境界的な場所だったようで、
活発な人間活動痕跡が集積しています。
土器を生産していた様子も痕跡があって、
登り窯跡があって、復元されています。
王朝国家側がその技術を独占していた「須恵器」が生産されていたと推定されています。
人間というのは、結局、同じような場所で、
同じようなことを繰り返す存在なのかも知れません。
というか、その土地が持っている「地政的な位置」というものが決定的なのかも知れません。
で、建物であります。
そういう工業生産を基本とした集落での住宅だったものか。
竪穴で、地面を掘り込んでいます。
囲炉裏は地面に切られていて、ほぼ家屋中央にあります。
暖房であり、煮炊きの装置でもあり、
家というものには、火の場所というのは基本中の基本。
それを囲むように、むしろとおぼしき敷物を敷いた場所があり、
気をつけてみると、やや床高になっていますね。
床組みして、地面から少し上げているのでしょう。
面白いなと思ったのは、壁の仕上げです。
細い木の枝で下地を組み上げて土を塗り込んでいます。
江戸期の建物を見ても、結構、土壁は多い。
萱などで作る方が遙かに簡便だと思うけれど、
そういう簡便さよりも、断熱とか、暖かさを追求して
手の込んだ壁を造作したのでしょう。
それくらいの生活文化の庶民レベルでの向上があったものか。
格子状に下地を組んで、そこに土を塗り込むというのは、
手間暇もかかります。
腰までの壁には地面を掘り込んだ関係から土留めの必要があり、
丸太を一定の高さに揃えて連続的にびっしり立てています。
やはり掘っ立てなので、構造の柱下部には湿気上昇の痕跡がありますね。
このような木材構造の腐れ要因が、次の時代の
礎石基礎上の建物への進化を促した要因だと思います。
縄文までの狩猟採集生活では高台に住んでいたので、
このような湿気対策は考慮しなくても良かったのではないでしょうか。
いろいろな建築的時代考証を考えて復元する作業、
大変興味深いと思いました。
北のくらしデザインセンター
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