本日、わたし、北海道の「北方型住宅会議」というのに出席します。
北海道の住宅政策についての基本になるものであります。
ということもあって、「北海道の住生活を取り巻く現状と課題」といった
文書を読み込んだりもしているのですが、
いつも考えが及ばざるを得ないのが、表題のようなこと。
わたしたちは一生懸命に考えて、いい家を推奨しようと努力もするわけですが、
その一方で、日本の住宅の資産価値というものは一向に上がらない。
日経新聞WEB版3月3日号では、
「日本の家、なぜ資産にならない」と題した記事も掲載されています。
<編集委員 谷川健三>という記者署名記事です。
そこでは不動産流通業界の中古住宅売買情報の「囲い込み」が
閉鎖的な情報環境をもたらして、住宅価格を頭打ちにさせるように
機能している、というような悪玉論が展開されていました。
このことにいろいろな意見はあるでしょうが、どうも違和感がある。
問題の本質は少し違うのではないか。
同じく日経新聞4.27号<有料会員限定記事>では、
「日本には通常20〜25年で住宅が無価値と評価される<慣習>がある。
約40年で(日本人は)900兆円を住宅投資したが、実際に資産となっている
評価額は400兆円弱。アメリカでは評価額が投資額を上回っている」
という、ごく正常な感覚の記事が掲載されていた。
モノとしての住宅が世界標準と大きな性能的な差異があるというのは考えにくい。
ドイツですら、一般にある既存住宅は断熱付加がむずかしい古いレンガ造が中心。
アメリカの住宅性能というのも、まぁ日本の温暖地住宅とさして変わらない。
いずれも力任せに全室を暖房して、暖房エネルギーを爆使いしてきて、
エネルギー国家戦略的な瑕疵になってしまって、
ドイツなどそこから猛反省して、住宅性能基準を世界一にした。
なぜ日本で評価が半減以下になるのかと言えば、
財務省令で木造住宅の耐用年数を
22年と定めていることが影響したとされている。
戦後の混乱期に建てられたような劣悪な住宅を
基準にした考え方と思わざるを得ない。
そうでなくとも、会計の評価基準と住宅の価値は本来、自ずと違うだろう。
そういうなかで、地域として住宅性能向上に取り組んできて
Q値1.6という地域基準を持ち、ここ十数年、平均値として
世界でも有数の住宅性能先進地である北海道の中古住宅の価値は
しかし、そのようにはまったく評価されていない。
「評価軸」自体がおかしいのではないか、というのが正常な感覚ではないか。
逆に言えば、この評価軸が変われば、日本の国富、日本人の財産は
一気に世界最高水準になるのかもしれない。
もうすでに会計的には無価値とされるわが家ですが、
十分な住環境をわたしと、家族にもたらせてくれています。
そういう当たり前の評価を住宅に適用するように、政府サイドも努力すべきだ。
もうちょっと、じっくり書きたいテーマなのですが、
みなさん、いかがお考えでしょうか?
Posted on 5月 28th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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