日本史の中で、料理のことで一番のイベントと言われたら
やっぱり本能寺の変の直前の
信長による、家康供応料理なのではないでしょうか?
食いしん坊のわたしですが、
このイベントのことを司馬遼太郎さんの小説で読んで
いまにも、よだれが落ちてきそうで(笑)
死ぬまでにいっぺんで良いから、こういう料理を食べてみたいと
何度、妄想してきたか、わかりません(笑)。
そんな欲求、妄想にほんの少し、
リアリティを持てたのが、「信長の館」での展示でした。
この信長による家康供応は、安土でのこと。
前年に武田家が織田・徳川・北条の3カ国連合によって殲滅され、
それに信長も出陣しての帰途、富士山見物をしたいと
家康の駿河・遠江・三河の領土を
物見遊山しながら旅したことへの返礼だったと言われます。
織田ー徳川の連合は、信長が一地方権力者から
「天下静謐」を担う、天下人になることによって、
家康がその「臣下」になっていく直前段階だったのだろうと思います。
ひとを完全に道具と見なして、その能力発揮を
極限まで追求してきた信長と同盟関係を維持してくることは、
家康にとって、なまやさしいことではなかっただろうと思うのですが、
そういう部分を信長も、家康の態度に見続けていたのだろうと思います。
展示されていたメニューは、それこそ山ほどどっさりだったのですが、
その一部を写真に納めてみた次第であります。
それにしても、全部チョーうまそうであります(笑)。
Posted on 2月 10th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: おとこの料理&食, 歴史探訪
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