久しぶりに結婚式に出席することが出来ました。
やはり人生の船出を祝ってあげるというのは、たいへんうれしいものと思います。
どうも最近、結婚式って、少なくなっていると思います。
派手にはせずに、地味に、というのが一般的な傾向なのでしょうか。
場合によっては結婚したことを親族でも知らないケースがある。
結婚式をしないのはいいけれど、
また、派手にしないのはいいけれど、
結婚した事実を知らせる方法が確立していないということなのか。
あとで、こそこそと知らされるというのも、
なにか生活文化伝統で考えると、どうなんでしょうか?
洋の東西を問わず、結婚は人生の一番大切な公的宣言。
それをしないというのは、どうも具合が良くないと思います。
たとえば、親類で知らせてももらえなかったら、
「あ、そうか、親戚付き合いをしたくないのだなぁ」
というように受け取る部分がある。
自然と、そのひととの交際はそういう前提で行うようになる。
さらに良くないのは、その結婚が破綻したとき。
正式に知らせてももらえず、しかも離婚したとしても、
結婚自体をきちんと知らせてもらっていないので、
なんとも慰めようもないし、相談にも乗れない。
まぁ、乗る必要もないのだけれど、いずれにしても、付き合いがほぼ出来なくなる。
考えてみれば、日本くらいなのではないだろうか。
こんな生活文化の根幹に関わるような習慣を放棄しはじめているのは・・・。
どんな貧しい社会でも、結婚は精一杯の社会的節目行事。
その社会にとっての基本的な「つながり」の確認だと思います。
アイヌのひとたちの結婚を先日、記録映像で見ましたが、
民族独自のアイデンティティがすべて表現されていて、
豪華ではないけれど、
まさに、社会の基本としての夫婦関係の公認、という手続きであると理解できる。
こういうシステムがきちんと存続していかない社会って
いったい、どのような社会になっていくのだろうかと思います。
最近の結婚事情を伝えるエピソードで、
医師の資格を持った花嫁が結婚することになって、
その実家が、花婿側を訴えた、というようなことを聞きました。
娘を医師にするには、それ相応のお金をかけてきた、
その金銭的な補償を求めたというのだそうです。
ちょっと絶句せざるを得ないのですが、
本当にそういう社会になってきたのでしょうか?
足下で、どのように滅びはじめているのか、
わたしたちの社会の病理を、しっかり見つめなければならないと思いますね。
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び
Posted on 10月 29th, 2008 by replanmin
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