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茶室の機能って?

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写真は石見銀山遺跡周辺の古民家群のなかの高級住宅の内部。
商家だけれど、成功した人物の邸宅で高級武家たちの応接も多くあって、
その装置としてこういう茶室空間がよく造作されている。
表向きは深遠な趣味生活の表現として
その主人のひととなりを表す建築的な仕掛けというようにも見えるでしょうが、
こんな2畳にも満たないような空間を見ていると、
ごく親密に、
「おお、石見屋、今回の公共事業だがなぁ・・・」
「お代官様、そこはひとつよしなに・・・(揉み手)」
その揉む手が茶毛氈の動作に重なっていって
「粗茶ですが・・・、」
と差し出された茶のヨコに、金百両が・・・。
「おお、これはよい心がけじゃ」
と素早く懐中に納める。
「では、茶をいただこうかのぉ・・・むふふ」
一服、茶を喫して、
「して、石見屋、このことゆめゆめ口外無用ぞ、よいな」
「それはもう、お代官様、わたしども一蓮托生、地獄までごいっしょさせていただきますよ」
「いやいや、わしはもうすこし良きおなごとでも・・・むふふ」
「ほほう、お代官様、なかなか隅に置けませぬなぁ、むほほほ」
「わはははは・・・」

っていうような妄想が沸いて参ります(笑)。
現代こんにちでも、カンボジアで政府高官筋から日本企業にたいして
公然と賄賂の請求があって、それが発覚して社員が処分されたそうですが、
アジア的な現実というのは、儒教体制の元、
このような不公正取引が延々と継続していたのに違いないと想像します。
こういうのは、想像力がたくましすぎるかなぁ(笑)・・・。
でもまぁ、商家にこういった装置があるというのは
まさか、本当にその主人の豊かな知性と趣味生活を表現しているとは思えない。
やはりそういう部分は隠れ蓑であったに違いない。
ただ、そのようなことは、一応はばかられることではあったのではないか。
なので、秘して、ごく内密な空間装置で話し合われたのではないか。
どうにも不純な想像が働いてしまって止まらないのであります。
そういったドロドロの関係があったればこそ、
商家としては、むしろ簡素・質素なワビサビ精神が表面を飾るにふさわしかったみたいな。
そんなふうに想像力を膨らませていると、
それはそれで、人間くさい部分でもあるのかも知れません。
儒教的な社会体制にはどうもそのような停滞とか、
不公正さというものが付き物のような気がします。
アジアの中で、日本は積極的に欧米の本質を摂取して
社会自身も大きく変えてきたけれど、
これまでの王朝国家の「科挙」による官僚組織群に代わって
中国共産党が、その位置に座って、
体制としてはわかりやすい儒教体制が結局継続していると思うと、
どうも日本人はそういったアジア性はきらいでたまらなかったようにも思います。

防空識別県の設定
っていうようなすれすれの状況が頻発してきていますが、
東アジア世界って、平和を維持していくのはなかなか難しそうですね。
どうも軍部の独走が中国で始まっている可能性も感じられますね。

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