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【父命日に実家にて、仏像・伝承品】

連載で旧岩崎邸探訪記を続けているなかですが、本日は閑話休題であります。 きのうは9月9日重陽。父の祥月命日でして長兄の実家にて参拝。残念ながらお坊さんが例の流行病に罹患されたということで、ひさしぶりに兄弟だけで近況報告会 […]

【西洋的階段フェッチ・財閥版「鹿鳴館」 旧岩崎邸探訪-7】

日本建築では城郭建築でも、階段というのはほぼ機能性空間とだけ考えられているように思う。そもそも城郭とか、塔の建築などはそれ自体がある機能に特化した建築であって、そのなかで人間が暮らすということを想定していないのでしょう。 […]

【金唐革紙/日本の国産壁紙技術 旧岩崎邸探訪-6】

さてきのうは、明治期ニッポンの旺盛な西洋文明受容ぶりに着目したけれど、もう一方で、旧岩崎邸には明治の職人魂、日本のものづくりの痕跡も刻印されている。 壁紙という文化は江戸期までの日本住宅文化では、茶室などでの壁面下部に使 […]

【土佐藩士から経済人へ岩崎弥太郎 旧岩崎邸探訪-5】

現代の中国を見ていると、ちょうど幕末期の江戸幕府体制を見ているような錯覚にとらわれる。 現代世界というのは西欧文明の自由・平等という人権概念と、自由競争の資本主義によって基盤が形成されている。やはり人類発展の方向性の基本 […]

【暖炉にみる明治の懸命な文化導入 旧岩崎邸探訪-4】

明治の初年に北海道の開拓が進むにつれて、欧米からの暖房機器の輸入、国産化がすぐに開始されていった。幕末〜明治初期の志士たちは「北門の鎖鑰(さやく〜外敵の侵入を防ぐ重要な場所の意)」というコトバを交わし合っていた。日本国家 […]

【武将榊原氏〜明治政府〜三菱創業家へ 旧岩崎邸探訪-3】

この旧岩崎邸の説明資料にはこの広大な邸宅敷地について以下のような説明記述。 「本庭園敷地は江戸時代には越後高田藩・榊原氏の屋敷であり、その後明治政府に上地され薩摩藩閥などの所有を経た後、1878(明治11)年、三菱の創業 […]

【初源は徳川四天王・榊原邸 旧岩崎邸探訪-2】

東京には半世紀前頃に(笑)、8年間いたのでそれなりの土地勘もあるのですが、案外上野周辺というのは馴染みがほとんどなかった。逆に最近東京出張すると必ず美術館巡りをしたいのでその行動拠点として上野というのは、東京国立博物館を […]

【いま考える日本資本主義の草創 旧岩崎邸探訪-1】

本日から東京上野にある「旧岩崎邸」探訪記をシリーズで始めたいと思います。弊社では関東地域での「関東の工務店と建てる」別冊企画を無事出版しましたが、それをきっかけとして、住宅の最大消費地・関東について俯瞰的な視点で地域性の […]

【寿司パーティ、ひたすら握り続けても終わらない(泣)】

さて昨日は既報の通りの社内スタッフへの慰労・握り寿司パーティ。社長食堂シリーズでした。 いったい何カン分のネタ食材か、まったく推定把握していなくて、まずは下処理してネタ化させておいて、あとは握りながら、シャリを炊き込みな […]

【出版作業一段落〜本日打ち上げ「寿司食堂」開催】

さて拙ブログ記事でも長期連載シリーズが一段落ですが、雑誌出版制作でも昨日、フラッグシップの「Replan北海道」の次号の原稿入稿ということでひと区切り。年末に向けてたくさんの案件は同時進行していますが、本日は久しぶりに手 […]