本文へジャンプ

【「列島縦断」台風と日本人の意識】

さて個人としての住宅取材データの復元が見通せない日々、4日目。 データレスキュー専門店も連休中のなか、じっとガマンであります。 しかし諦めることなく、時間を見てはムダな抵抗を試みております。 そうするとパソコン本体側の方 […]

【わたしの健康方 さらばゴルフ・散歩中心に】

以前はけっこうゴルフとか楽しんでおりましたが、 感染症の蔓延以来、どうも抑制的な生活が常態化してくると あまり積極的には行く気にもなれなくなっております。 そもそもそれ以前から、仕事関係での付き合いの機会が多く、 たとえ […]

【因果応報のなかで淡々と「できること」を探す・・・】

写真は以前、撮影していた湯島天神の拝殿の木組み装飾の一部分。 一昨日から自分の写真記録データとアクセス不能になっていまして、 このブログ掲載とともに撮りためていた写真と記事テーマが いかに自分の中核的関心領域であるか、思 […]

【寒冷地環境への知恵と工夫・暖房強化 東旭川の養蚕民家-4】

道北旭川の養蚕民家探訪篇、その4です。 そもそも蚕を育てるということは、室内環境にデリケートであること。 以下に蚕の生態と繭に至るプロセス。 ●蚕を育てる 卵からふ化した蚕に1ヶ月ほどエサの桑の葉を与える。この間に蚕は […]

【寄棟と半切妻「片あずま」架構と植栽 東旭川の養蚕民家-3】

北海道内で一時代を築いていたと思われる養蚕業だけれど、 その盛時を伝える遺構は非常に希少。というか、 わたしも教えていただくまでまったく知らなかった。 養蚕自体は東アジア地域全体で広く取り組まれていたけれど、 需要はヨー […]

【福島の養蚕建築技術を北海道に移植 東旭川の養蚕民家-2】

福島県大田村・現在の伊達市から1899年(明治31年)に集団移住した人々。 移住団長・菊田熊之助氏が移住の「米飯地区」に野桑が繁茂している様子を見て 団員に養蚕を奨励したとされる。 そもそもが大田村は養蚕が盛んだったとい […]

【113年前、養蚕に賭けた開拓魂 東旭川の養蚕民家-1】

1909年建設という旭川の奥、東旭川にある養蚕民家。 本州地域ではこの程度の築年の建築は多数あるけれど、 明治以降の開拓史しかない北海道では、十分に「古民家」といえる。 この建物は旭川市指定文化財となっている。 先般来、 […]

【空間デザインは現代生活の姿見・・・ 旭川2022家づくり探訪-11】

45度軸線を振って、空間に変化を与えている家その2です。 上の写真はその特徴が表現される玄関の様子。 斜めに入ってくるのですが、その動線には2方向が用意されて 2番目の写真のように家族のための靴の収納ボックス土間空間への […]

【45度軸線傾斜の間取り 旭川2022家づくり探訪-10】

旭川でのアース21例会住宅見学最後は(株)高組ホームファクトリー。 市内のモデルハウスの様子であります。 公共などの大型建築工事主体で、最近アース21に加入された会社。 わたし自身ははじめてその住宅を見学させて頂いた。 […]

【北の自然と共感する最先端住宅 旭川2022家づくり探訪-9】

田園住宅というコンセプトの旭川市東桜岡に建つ家。 日本の場合は、大規模土地開発はおおむね戦後になって 地方からの大都市圏への人口吸引のニュータウンとして作られ、 むしろそれ以前からの都市圏の住宅の方が高級住宅であり、 ニ […]