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【数寄屋を求めた明治の成金・臥龍山荘⑥ 四国住空間探訪-24】

写真の「臥龍院」はこの山荘のメイン建築。なんですが内部撮影禁止(泣)。 しかしいまやSNSでの情報が「世論」を構成し影響を強めている時代。 ある方針だけで運営される情報操作的な既存メディアにだけ情報公開させるのは どうい […]

【微妙な茶室名「知止庵」臥龍山荘⑤ 四国住空間探訪-23】

こちらは茶室建築「知止庵」であります。 命名由来は江戸期の大名家・加藤氏の殿様の扁額文字。 「知止」の扁額は大洲藩第10代藩主加藤泰済筆。陽明学者中江藤樹の教えから 庵名が生まれた。壁の腰張は皇室の名代を徳川家で迎えると […]

【高楼懸造り「不老庵」臥龍山荘④ 四国住空間探訪-22】

この臥龍山荘訪問予定は、すべてカミさんの段取りだったので、 わたしはただ現実にあらわれてくる建築をボーッと観察していた(笑)。 なので写真の「不老庵」建築についてもまったく知識なく見物していた次第。 でも、徐々にこれが「 […]

【構造、大丈夫?(汗)伊予・臥龍山荘③ 四国住空間探訪-21】

さてこの敷地建物は少なくとも戦国期、1600年代前期にまではさかのぼれる。 伊予の肱川流域で最高の景勝地とされる立地環境。 肱川が大きく蛇行する場所にやや高台があって、 その高台にランドスケープを愛でるように建築が建てら […]

【名勝地「ミエの数寄屋」伊予・臥龍山荘② 四国住空間探訪-20】

戦国期の渡辺了(勘兵衛)が禄高2万石で戦国大名・藤堂高虎にスカウトされ 藤堂家が今治・伊予を領地としたときにかれを南予・大洲の城代とした。 戦国の頃は石田三成と島左近のように野戦指揮官・戦闘専門職の武士を 必ずしも軍事の […]

【戦国武士の懸命・伊予大洲「臥龍山荘」 ① 四国住空間探訪-19】

四国探訪篇、愛媛県南部の中心地・大洲にある臥龍山荘。 重要文化財建築で、始原伝承は戦国期の渡邊勘兵衛(了)居宅と伝わる。 渡邊勘兵衛は1601年に禄高2万石で戦国武将・藤堂高虎に将として採用された。 戦国期の武士道、いわ […]

【世界に即座に情報波及する現代戦争下の経済】

きのうはウクライナ戦争でロシア側による原発への攻撃というショッキングなニュース。 現代戦争では危機は一気に世界に及ぶのだということが明白にさらけ出された。 もし世界でも最大級といわれるウクライナの原発が破壊されれば その […]

【身近になって来たか? 現代のサイバー戦争序章】

感染症の蔓延状況からテレワーク環境が一般化してきました。 当然パソコン環境で情報をやり取りしながら仕事を進めていくことになる。 自宅での作業は深掘り型の企画構築などの作業には適しているともいえる。 必然的に情報のやり取り […]

【儒教思想出自の「義倉」 in高知 四国住空間探訪-18】

四国村野外展示で教えられた存在として「義倉」があります。 北海道の人間としてはこういう建築施設は見たことがなかった。 義倉という漢字をみて大体が想像できるように用途としては 飢饉のときにそなえて非常用の食物を蓄える目的だ […]

【日本の精神資産・仏教の意味】

昨日はここ1年以上の仕事上の懸案がようやく落着しました。 そういう日には同時にいろいろの懸案もメドがつくもので、 よく「一粒万倍日」という言い方がありますが、 そういうことに近かったのではないかと思っています。 いまのと […]