先日鑑賞してきた日本画家・後藤純男さんの画業について
音声ガイドが聞けたのですが、
画家は、写実が7であとの3割は心象であるというように話していました。
京都嵐山の川と橋、その先の山、全山が白く雪景色に覆われた作品があります。
そのときの情景を音声ガイドで聞いた次第。
京都に行って、前日から翌朝は雪になると聞いて、
その嵐山の情景がこころを覆い尽くして
夜が明けるのを待ちきれずに、こころに思っていたアングルポイントにたどりつき、
白々と夜が明けて、そこで見た感動をそのまま掻ききった作品なのです。
まことに素晴らしいできばえで、京都に結実している
地域空間としての自然と人間の審美眼との積み重なりに率直に揺り動かされる。
こういった日本的な空間美の発見、
だれかが時間を掛けて作りだしてきた美的空間性には抗いがたい。
奈良・京都にはそういった空間美があふれるように存在している。
写真は、北海道神宮周辺の円山公園木道。
こういう杉の植栽はたぶん、日本的審美眼の発露として
あるときにここに植えられたものだと思うのですが、
時間を掛けて、自然がもう一度彩色していくと
得も言われぬ風情がだんだんと積み重なっていく。
自然は、その場所の空気、湿度、気候条件というような部材を使って
人間の作為をも包み込みながら、完璧なデザインを付加していく。
やはりそこで自然が生命現象を使って行う彩色デザインは完璧だと思います。
京都という地域は、
ある種、独特の地域気候条件に位置していて
そのことが都としての決定的なある選択動機になったことは疑いないでしょうね。
たぶん京都人とその歴史は、そのようにデザインしてきたに相違ない。
わたしたち、それ以外の地域、
それも北海道のような地域で暮らすものは、
多少なりとも、そのような意識を持って営みを考えていく必要がある。
それが愛着を育てる大きな要因になると思う。
Posted on 6月 11th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 「都市の快適」研究
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