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建築研究所発表会・地震の大研究

先日の「建築研究所発表会」には、たくさんの国費を傾けた研究成果が
発表されていましたが、
そのなかでもわたしが、きわめて興味深く拝聴していたのが
東日本大震災を契機とした地震研究の最新知見。
東大地震研究所から建築研究所に「客員研究員」として派遣された方が
詳細に歴史年代の地震記録を調べ上げ、もって
今日の建築がなにをなすべきかの基礎研究に供しているのです。
東日本大震災のときにいち早く、平安時代初期869年の「貞観地震」との類似性が
多くの在野研究者から指摘があったのですが、
建築研究所としての国費を使った政府組織の研究として
被災し冠水した土地の調査を行って、その地層分析から
貞観の大津波地震は、今回の海水冠水地域とまったく重なる規模に及んでいると
解明されていました。
そして遺されている歴史記述記録のうち、
政府組織の公式記録と言える多賀城の記録での被災模様を
今日の「震度相当」に置き換えていって、
その地震の規模、揺れの大きさを確定させていって、
歴史に残っている記録を今日的な評価軸に置き換えていく方法を試みている。
そして、さらに今日的には、
その貞観地震の後、どのような自然現象が出来したのかの研究も行っている。
歴史的には陸奥の地では、このあと、八甲田山系で噴火が起こり
その自然災害に苦しみ、しかも苛烈な収税、官僚腐敗のつけ回しという
当時の政府の最北政庁であった秋田城官僚への民衆の決起
「元慶の乱」も878年には起こっている。
自然災害の連鎖が、政治的な混乱の引き金も引いてしまった。
また、特筆すべきは、貞観地震後、数年を経て、
関東地域の直下型大地震も惹起して、
大きな被害を及ぼしたという記録も発掘されてきている。
その連動には、大きな根拠がありそうだとされていた。
こうした手法を深めていくと、記録の多く残されている
江戸期の江戸・関東に起こった地震も解析可能になってきて、
関東大地震の先行事例としての「安政地震」の規模も同様に解明されていました。
この関東地域直下型大地震には、規則性が認められるということ。
そういった意味で、
近い将来に関東直下型地震は必然性が高いと結論されていました。

まぁ衝撃を受けて思わず、会場を見回してみた次第です。
メディア関係の方の姿を探してみたのですが、
どうもこういう「固い」研究組織の発表会には興味がないようで
そのあと、メディア関係にこうした記事が掲載されたようには記憶していません。
どうもこの見方は、かなり公式の見解になってきているようで、
より注意深く、
起こってくる事象を把握していかなければならないと痛感させられました。

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