本文へジャンプ

歴史の豊かさ

ことしはなかなか遺跡探訪とか、歴史行脚ができない。
まぁ、立ち向かうべきいろいろな案件が多すぎて
時間が取れないというのが実態なのですが、
どうもこころの豊かさが、その蓄電量が不足してくるように感じる。
小さいときに、社会科というものとふれあったときに
感じた、あの豊穣感って、
いろんな人々の息づかいが伝わってくる、こころで満たされるものだった気がする。
確かに昔、こういうことを感じた人々がいて
そのひとたちの活動の結果、わたしたちの現在の社会が存在している、
というような思い。
そういう直接的な機縁とふれあう機会が、
やはり直接的な目的とした時間がなかなか確保されていかない不幸感。
どうもそのような時間を、辛く堪え忍んでいるような気がします。

歴史に関連する時空間に接すると、
そのとき、タイムスリップして、そこで生きてきたひとびとへの
想像力が全開してくる瞬間がある。
「こういうことのために、このひとたちの命があったんだ」と気付かされる瞬間。
そういう歴史時間でも同様に日常があり、
ひととして当たり前に過ごす時間がそこで展開もしている。
そういう尺度を持って、昔の時間経過の中のひとびとと対話している。
きっと、わたしの歴史好きは、そんな部分なのだと思っています。
ことしもカレンダーはどんどん無情に進んで行ってしまう。
少しでもこういう豊穣感を体験できるような時間を持ちたい、
そういう思いが、こころのなかでストレスになって来ている次第。
やはり人間、こころにもバランスが大切ですね。

Comments are closed.