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民俗の基底を呼び覚ます・神楽

先週の土曜日に見てきた神楽の衝撃がまだ体の中に残っている。
「村の鎮守のお祭りの・・・・」という歌がある。
ドンドンヒャララ、ドンヒャララという「笛太鼓」が囃子となって、
それが延々とリエゾンしていく。
ムラ共同体の協同労働の結果、秋の収穫期を迎え、
神への奉納と、労働への慰安とが一体となって、
「村祭り」が挙行されていく。
聞いているウチに、こころが浮き立ってくる感覚が沸き起こる。
まことににぎやかで、いかにも日本そのものの民俗世界が展開していく。
・・・というような世界が、今日にあるとは
ほとんど想像できませんでした。
しかし、広島や島根を中心にして、この神楽は
大きなブームになってきているというのです。
会場で気がつくと、後ろの席でまだようやく立てたばかりの子どもが
気持ちよさそうに、両足でリズムを取って
いまにも踊り出しそうにしている(笑)。
屈託のないその表情を見ていると、日本人としてのDNAを感じざるを得ない。

わたしは、東京でやっている
いまや金持ちのサロン化しているような歌舞伎には
正直にいうとあんまり魅力は感じません。
確かに面白いのは面白いけれど、
その経済的基盤自体は、国の文化保護政策がなければ霧消してしまうことは
どうもあきらかだと思われるのです。
河原乞食に起源を持つ役者の世界が、文化伝承という名目の元に
保護され、国費を費やして
それこそ生まれたときから人間国宝になることが決まっているなんて
おかしいと思うのです。
芸の世界はそれはそれとして、しかし、生まれたときから
歌舞伎界のプリンスなんていうフレーズで囃し立てられる世界に
いったいどんな意味があるというのでしょうか?
保守、という悪い意味合いをどうしても感じてしまう。

一方で
この広島を中心にした中国地方で盛況な神楽は
正しい芸能のあるべき姿を見せてくれている。
珍しきもの、キラキラしたるものへの希求に応えようという
そういった根源的な正直さが感じられます。
笛と太鼓のリズムに乗って、
繰り広げられる舞いの見事さ、
くるくると舞い踊るとともに転換していくきらびやかな衣装の鮮やかさ。
単純明快なストーリー性のわかりやすさ。
そういった渾然一体が、
見ているうちに深い感動となって迫って来る。
現代の中で、こういう始原的な芸能が力を持つということに
率直に楽しく、応援したくなる気分が沸き起こってきます。
こういうものをよいと思う素直なこころが存在しているということにも
深い共感を持つことが出来ました。

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