多少なりとも、建築に関連する仕事をしている人間として
出雲大社、という名前は抵抗できない圧倒的な力を持っている。
木を使って建築するということの日本的根源性を感じるんですね。
あるいは、そういう建築を離れても
日本民族の基底的な文化をずっと維持し続けている継続性に畏敬の念も持つ。
それと、出雲の神さまはどうもやさしげに思えたりもする。
丸裸にされたウサギさんを助け、治療法の言葉を掛けてやったりする。
神話の世界の話なので、どういった歴史事実があったのか、
必ずしも詳らかではないけれど、
日本人として、一度は見てみたいと念願し続けておりました。
広島で会合があると聞いてから、
やはりその機会に、どうしても見たかったのが出雲大社だったのです。
広島から出雲って、
北海道からの感覚では、まぁ札幌から旭川くらいの距離感覚。
高速を使えば2時間弱程度と想像しておりましたが、
事実、距離は180kmくらいですが、
結局クルマでは3時間半以上かかりました。
まぁ途中で神楽を観賞して、あまりの衝撃で打ちのめされた後だったので、
その日の日中には無理と言うことで、隣町のホテルにまっすぐ入って、
翌日早朝にようやく出雲大社にたどり着いた次第です。
写真は、早朝の朝ぼらけのなかにたたずんでいる社域です。
以下、Wikkipediaから出雲大社の概要。
式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。
明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。
祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。
1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された。
縁結びの神様としても知られ、神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる。正式名称は「いずもおおやしろ」であるが、一般には「いずもたいしゃ」と読まれる。二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。
伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
わたしの想像なんですが、
出雲というのは、八百万の神々〜各地の「神々」という名の古代の支配者たちが
ゆるやかな「連合的国家」を形成していた時代の盟主だったのではないか。
「縁結び」の神さまであるというのは、端的にそのことを証しているのではないか。
そこに高天原からやってきたと名乗る皇統が乗り込み、
それまでの銅鐸・銅矛を象徴的祭具としてきた「連合的国家」を廃棄し
ヤマト朝廷という「統一国家」志向の勢力が、列島支配を強めていったのではないか。
今日でも、皇室でさえ出雲大社本殿内部には入れないというのは、
このようなヤマト朝廷国家としての約定があったのではないか。
そして、建築的な不思議としては地上96mまでの高さがあったとされる上古の本殿。
そういう超高層の神殿建築技術というのは
いったいどこから由来しているのか。
三内丸山以来の、この列島社会に伝承してきた大型木造技術に由来するのか?
いくつもの、不思議をかかえたまま、
早朝の暁闇の中、気配のような朝焼けに
礼拝させていただいた次第であります。
むむむ、魅力的!
Posted on 6月 6th, 2012 by replanmin
Filed under: 歴史探訪