人間は農耕を始めたり、縄文で「定住」をはじめるより前に
移動採集という長い暮らしがあった。
現生人類では8万年と言われる出アフリカの過程で定住をはじめたのは
高々、1万数千年前からであり、それ以前の古ライフスタイルは移動採集だった。
主要な食糧調達手段は木の実などの採集とともに狩猟。
人間が食料として獲得したかった他の動物、大型動物は長距離走行は難しかった。
それは体毛が発汗を阻害するためだった。そういった必然性から
人間は狩猟するとき長距離を走れるように、体毛を脱ぎ去ったと言われる。
その狩猟では、さまざまな「技術・工夫」が開発されただろうけれど、
なかでも最大のものとして「落とし穴」製造技術があったことが知られる。
大型の動物を人間狩猟集団が「追い込んでいく」ことはできるけれど
「確実に殺す」ためには、さらに決定打が必要になる。
マンモスのような大型獣の場合など、大型の穴が必要とされたに違いない。
そして掘った穴に「目隠し」の被覆をする必要がある。
そこで伐採した木材や下草などの類で「煙幕」を張り巡らしておいただろう。
集団で四方八方から追い込んで全身ではなくてもカラダの自由を奪ってしまえば
槍や弓矢などで確実に仕留めることができただろう。
この推定で気付く点が多いけれど、穴を掘ったり、木を利用するという営為は
竪穴住居づくりにおいて決定的な要素技術だと思う。
移動採集生活での住居は「洞穴」が最適な場所だったに違いない。
風雨をしのげると同時に、温熱環境でも最適環境であると
かれらの肌感覚で知っていたに違いない。
人間の温熱感覚もそうだけれど、獲得した食料の「保存」にも
非常に有益であることがかれらの常識になっていったことも間違いない。
地中の穴倉に食料を長期保存するのは普遍的なくらしの知恵。
大型獣や木の実など採集食物もある地域で採りつくしてしまうと枯渇する。
そういう理由で洞穴生活には時限性がつきまとっていたけれど
しかし人間の居住環境として、洞穴の温熱環境の快適性はDNAに刷り込まれた。
日本列島では定住=縄文ということになる。その生業とは漁撈と採集。
海や大河川流域が食糧確保の最適環境というのが普遍的選択。
残っている竪穴住居痕跡は、おおむねこのような地域に存在する。
ウォーターフロント型の環境の中で、長く居住することになる。
最初期定住では移動採集時代の延長的な意識が強かったかも知れない。
定住を始めるとき、前時代の要素技術の中で確実に、
「穴を掘る」という技術が最重要技術として次代に受け継がれていった。
たぶん最適環境としての洞穴環境がアナロジーされていた。
結果出現したのが「竪穴住居」という人間定住を長く支えた住環境。
食を満たす火の場を中心に、温熱的に有利な竪穴をある深さで掘り床面とした。
そして落とし穴作りのときの木や葦の利用技術で、屋根が架構された。
その地域の気温に合わせて葦類の屋根の厚みで調整していった。
こういった推論を上のいくつかの博物館展示画像などから
思い描いている次第であります。人類と居住のひとつの解ではと考えています。
Posted on 11月 8th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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