わたしは食事作りがそこそこ好きなので
「社長食堂」とか、番外編とか、家族料理とか、
なにくれとなく毎日、食事作りをするライフスタイル。
これが性に合っているというか、習い性というかであります。
で、そういう様子をブログでアップしたりすると、
いろいろな「ツッコミ」がやって参ります(笑)。
高校時代以来の友人知人であるShigeru Narabe さんからは
そういうきびしいツッコミが多数寄せられるので、
いつも戦々恐々としているのですが、無上の楽しみでもある。
ふだんはある程度は予想が付くのでこころの準備は整っているのだけれど、
つい先日のツッコミで、食後感想で「いくらでも食べられる」
という意味合いのことを書いたら、
「北海道では正しくは『なんぼでも食べらさる』が正しい」
と断定的にツッコまれてしまった。
内心深く「おお」であります。
まったくぐうの音も出ない。
その手があったじゃないか、であります(笑)。
ブログを書いたり、住宅雑誌の編集発行、WEBメディアの運営など
毎日「表現」の仕事が常在戦場の身であるのに、
ここまで的確な感覚表現をスルーしてしまっていたことを深く恥じた次第。
美味しいものの魅力、その麻薬的な習慣性表現に関して
ここまで的確な良い方はなかなかないのであります。
ただ惜しむらくは「北海道方言」なのです、通じない(泣)。
たぶんこの記事を読んでいただいている北海道以外の方には
「こいつなにを書いているんだ」と思われることでしょう。
この方言を「翻訳コンニャク」すると、
この言葉は「食べる」という言葉に「さる」という方言接尾語が加わっている。
この「さる」という接尾語の意味合いは
〜「意思に反して」「わざとではなく」「意図せずに」「不可抗力で」
「勝手に」「そのつもりではなく」「状況ゆえに自動的にそうなる」
ということを伝えたいときに使います。〜
ということなので、食べらさる、というコトバは
その食べ物の魅力にすべての抵抗バリアが崩壊してしまって
ただひたすらその魅力を無抵抗に受け入れる快楽の状態、といえる。
北海道は日本中の「地方」からの移住者が集まって
コミュニティがほんの150年程度で生成されてきた「地方」。
多くの方言がある特定の地域発ということが多いのですが、
この「さる」はやや不明なところがある。
どうしても「表現」の仕事をしていると標準語が無意識に常態化する。
そういう間隙を縫って、ゴツンとした方言表現力に出会うとたじろぐ。
便利さと表現の深みの両方で、これは標準語にしてもいいのではないかと。
ぜひ国語審議会のみなさん、よろしくお願いします。
本日のテーマはどうもすらすらと「書かさる」のであります(笑)。
Posted on 2月 5th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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