わたしの両親は生まれは農家でして、
父親は現在岩見沢市に編入された「栗沢町上幌」という土地で農家を営んでいた。
母親は、三笠市いちきしりという土地での農家。
どちらも北海道の中では栽培型農業の盛んな地域にあたる。
北海道移民農家は、出身地での農業技術を基盤として、
それぞれ工夫を凝らして生産作物を考えていたと聞いています。
結婚して以降は、ふたりで協力して「ゆりね」などの希少商品を生産したとのこと。
戦前〜戦後初期にあたる時代で、農協組織が成熟していなかった。
なので自分で栽培した「ゆりね」の他に周辺農家でも栽培してもらって
それを一定数量にして大阪や東京の「市場」に専用借上げ貨車で出荷したという。
生産から出荷、販売まで全部手掛けていたという。
市場で一定の「生産地ブランド」にもなったという家族伝承もあります。
まぁ、そういうある意味「投機」的な商品生産・販売をしていたので、
いっとき、商品価格暴落危機を経験したりもしたようです。
っていうような血の「記憶」が刷り込まれている部分があり、
北海道のこの地域周辺の農業地帯での出荷作物には
ノスタルジックな思いを持つものがあります。
まぁ「ゆりね」などもそうではあるのですが、
個人的にはこの写真の「かんろ」、一般名は「アジウリ」、いや、
Wikkipediaで見たら「マクワウリ」という名前の方が通りがいいそうですが、
そんな名前は一度も北海道では聞いたことがない(笑)。
この果実が、わたしの大好物なのであります。
でもいま調べたらマクワウリというのは美濃国真桑地方名産の由来名なので、
わたしの母親の生家出身地域に近いようですね、新発見。
個人史的には、この果実の食味はカラダの奥深く感応記憶が鮮烈。
生まれ育った土地の記憶にかかわっているのではと推測。
というのはわたしは、旧「栗沢町上幌」での生活は生まれて3年しかない。
この幼少期記憶は当然定かではない部分があって、
こういう「味覚体験」「皮膚感覚」くらいしか残っていないのです。
いまでも「野焼き」の匂いにはチョー敏感だったりする。
が、結婚してからカミさんはこの「かんろ」にはなんの興味も示さない(泣)。
ただただ、わたしひとりで食べ続けてきた(笑)。
なので子どもたちの食味感覚には、カミさんの嗜好を反映して
ほとんど存在していない。このDNA嗜好操作。あぁくやしい(笑)。
ということで、日曜日出身地と似通った地域性のある長沼の農家ショップで
このかんろをゲットしてきて、ひとりだけでさみしく楽しんだ。
変わることのない食感を与えてくれ、随喜の涙を流しておりました(笑)。
あ、この表現ももはや死語かなぁ?
本日はごく個人的嗜好ネタで恐縮です。
あしたは、きちんと住宅ネタに復帰しますのでよろしく(笑)。
Posted on 7月 12th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: おとこの料理&食
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