きのうもご紹介した、新潟県立博物館ジオラマであります。
さまざまな「縄文時代」の生活シーンのジオラマにたいへん力を入れられているようで
その旨、帰り際に館員の方に申し上げたら、ニッコリされていました。
縄文時代は、まさにわたしたちの生活文化のマザーのような
まるで揺りかごを感じさせてくれる時代だと思います。
まだ、言語は解明されていないし、もちろん表記された文字は発見されていない。
たぶんなかったのでしょうが、しかし、火炎土器のデザインや
土偶の表現力、加工力をみれば、その文化レベルの高さは
同時代の世界の新石器時代文化の中でも、特筆できるものでしょう。
わたし的には、あの火炎土器のデザインには、
なにかのメッセージ性、同時代人ならば感受しうる伝達性が
あったのではないのだろうかと、妄想を抱いたりもします。
そうした時代観に、このジオラマはまことにふさわしいリアリティを与えてくれる。
わたしなど、ほとんど夢中になった次第であります。
こういったジオラマは、学芸員さんたちの研究成果と、その到達点を
きわめてわかりやすく、わたしたちに伝えてくれる。
この列島社会において、
いろいろな交流が起こっていたことは当然でしょうが、
その移動交通手段の発展の仕方について
わたしは強い興味・関心を持っています。
人類はそのごく初期から、「交易」ということを社会に組み込んでいた。
世界史の分類で言えば、新石器時代であるこの時代に、
日本各地で、北海道が主要原産地である鋭利な「黒曜石」石器が発見される。
以下、Wikipediaより抜粋。
網走支庁遠軽町(旧白滝村)白滝遺跡群
北海道の旧石器遺跡を語る上で、何といっても一番目に
取り上げなければならないのが旧白滝村の黒曜石採石場跡である。
町内、赤石山(1172m)の山頂付近(800m)から無尽蔵(推定60億トンともいわれる)
ともいえる黒曜石を採取し、山の上から、粗砕き(700m)を行い、
分業で、簡易加工(500m)して各地に運ばれている。
採石場の活用は6千年間に及ぶといわれている。
白滝の黒曜石は、北海道内はもとよりサハリンやシベリア、
縄文時代の青森県三内丸山遺跡にまで及んでいる。
といった事実があるのです。
石を加工した道具を使って、移動交通手段を作り、
より利便性の高い物産を交易していた。
このジオラマから、縄文の人たちの抱いたであろう時空間を超える夢が
なんとなく立ち上ってくるような、妄想を持ちました。
こんな手作りで作る丸木舟を、より精巧につくることで、
より遠くの人々と、よりよい出会いを可能にしたいというかれら先人の願いが、
残照のように、聞こえてくるように思われるのです。
あるいは、隣の集落に交易に行って、
その地の娘さんになにか、プレゼントでもして、
「あら、ステキな丸木舟ね、今度いっしょにどこかへ行きましょう」(笑)
なんていうようなロマンスが、若者の脳裏に浮かんでいたかも知れない。
人類進歩のカギとしての非日常性が、
こうした交易要素には、仕組まれているように思う。
先人を想起する、まことにすばらしい機縁を提供してくれていますね。
Posted on 8月 25th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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