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越後一宮・弥彦神社、4拍手の謎

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きのう夜に新潟出張から帰還致しました。
きのうも2軒、興味深い住宅見学をいたしましたが、
越後妻有トリエンナーレの大量見学とともに、
追って、まとめてご報告したいと思います。

わたしは、全国へ出張することがあるときには、なるべくその地の
「一宮」には、参詣したいと考える古いタイプの男であります(笑)。
まぁ、信心深いというようなことではなく、
やはり古社には、民俗としても、民族としても、歴史としても
さまざまな埋め込まれている記憶があると思うのです。
そういったことへのリスペクトの気持ちは強く持っている。
神仏というよりも、その地の人々のリスペクトすべきものが、
そういった場所には存在し続けていると信じているワケであります。
今回は、これまでなかなか時間が取れなかった新潟なので
まずは音に聞く名社、弥彦神社参拝を果たしたかったのです。
とはいっても、事前になにごとか調べてもおりませんで、
ぶっつけ本番、いきなり行って、体感を得てから、
という信長さん的行動主義であります。

高速を新潟空港インターから乗って北陸道を西進、
「巻・潟東」インターで下りて、そこから、日本海岸方面に向かうのですが
なぜか、前方にはふたつの山並みがランドマークに現れる。
おおむねそうではないかという、心証のとおり、
どうも平地に印象的に立つ神体としての「弥彦山」のふところに、
弥彦神社は立地するようなのであります。
位置は違うけれど、出雲大社の立地となんか、似ている感じ。
Wikipediaでの紹介では、(以下抜粋「」内)

「創建年代は不詳。祭神の天香山命は、
『古事記』に「高倉下」として登場する。社伝によれば、
命は越後国開拓の詔により越後国の野積の浜(現 長岡市)に上陸し、
地元民に漁撈や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたとされる。
このため、越後国を造った神として弥彦山に祀られ
「伊夜比古神」として崇敬された。このほか、彌彦の大神は、
神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽(かがらく)を奉奏したとされる。
ただし、尾張国造家の祖神である天香山命が越後に
祀られるのは不自然なため、本来の祭神は北陸の国造家高橋氏祖神の
大彦命ではないかとする説もある。

で、参拝を済ませてからの帰り道、
うしろで耳にする拝礼が、どうも拍手が4回聞こえる。
わたしは、ふつうに2拍手でお参りしてきたのですが、
どうも「愚か者め」と、神さまから叱られているように聞こえて、
あわてて振り返って、再度、2礼4拍手の参拝を捧げてまいりました。
神札を購入させていただいた神子さんに聞いたら、
「そうです。弥彦さんと出雲、それから大分の宇佐さんは、4拍手」
というように誇らしげに教えていただけました。
わたしは出雲大社には深いリスペクトを感じているものなので、
「おお」と、ただただ、恐懼して自らの不知を恥じておりました。
大分の宇佐神宮は、全国の「八幡神社」の元締めで、
源氏の氏神として、武神として名高い神社。
とすると、この弥彦さんも、出雲、宇佐とも同質性のある存在と
にわかに、興味が増してきておりました。
それで、新潟滞在中、この話題を地元のみなさんに聞いていたのですが、
はかばかしい反応はありませんでした。
ではありますが、なにがしか、調査を継続して
4拍手のナゾに肉薄してみたいと念願しております。
なにとぞ、われに疑問解決の道をお教えください、弥彦神社様。
パンパンパンパン。

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