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よき公共建築選定システムは?

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写真は先日のJIA建築家大会での基調討論の様子。
真ん中にいるのは、いま、公共事業の設計選定に関して
ある地方公共団体と係争している、山本理顕さん。
この事件というのは、一度設計協議が行われて山本さんが採用されたのにかかわらず、
選挙で信任された首長が、それを白紙に戻したというもの。
このような事件はそう珍しいことではなく、
地域の設計者では、長いものに巻かれろ的にならざるを得ないところを
正面切って、係争していると言うことで注目されているのです。
で、この討論会では、そういう問題ではなく、
いったい、よい公共建築選定システムとはそもそもどういうものか、
ということについて、論議されているのですね。
この問題、わたしも以前から興味を持っていました。
選挙によって首長は選ばれるのだけれど、
だからといって、そういう首長に「よい建築」選定眼があるとはいえない。
まして、組織としての末端の自治体建築担当セクションに
そういう判断力があるとは思われない。
ところが、実際には行政組織の恣意的な選定作業によって
さまざまな建築が、野放図に建てられているのがこれまでのシステム。
ある設計者と話していて、自治体側の公共事業担当者の対応ぶりを聞いて
さもありなんという現状を知らされているのですね。
少なくとも、こういう公共建築選定システムは
独立的な、地域の歴史伝統なども理解しているような
受け入れ先が存在すべきだという気がします。
それがいいかどうかは別として、
京都の地域景観の維持システムのような知恵が必要。
その地域が、どのような志向性を持って地域作りが行われていくのか、
という根幹的な部分の透明な議論が行われるべきだと考えられます。
現在の選挙システムが、こういうものまですべて決定力を持っているのだけれど、
言ってみれば、最高裁判所の裁判官国民審査のように、
システムとして破綻していると思う。
そういう結果、なんとも悲惨な公共建築が量産されている。
こういう存在は、維持管理の点も含めて
長く地域社会がその存在について責任を持っていかなければならないものなんだけれど、
そういう意義を持っている建物が、さてどれほどあるか?
20世紀後葉の、公共建築量産時期のものが
ほんとうに歴史のきびしい眼から評価されて存続していけるのか、
はなはだしく疑問だと思えるのですね。
そういう問題意識を、このJIAは少なくとも論議している、
という意味では、まだまだ捨てたものではない、
という思いも、一方でおおいに感じた次第です。
この論議が、今後、方向性を持って育っていって欲しいと思いました。
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