ビートたけしが、「がっかし観光地ナンバーワン」と言ったという石見銀山。
行って参りました(笑)。
まぁ行ってみて、かれがそういうのも理解は出来ます。
なんですが、それはちょっと見方が違うよなぁとも思います。
やはり歴史への理解と、その機縁となった産業・経済への
いわば、社会構造を全体として把握する楽しみなんでしょうね。
遺物としての具体的なものは、写真のような「痕跡」しかない。
銀山と言っても、いまそこで銀が採れるワケではないので、
「銀山遺跡」といったほうが正しいのでしょうね。
あとは、銀山の生産活動の結果、生成した山間の集落建築群の
街並みとしての景観保存がすばらしい。
というものなので、目を剥くような驚くようなシンボルには乏しい。
しかし、この銀山が歴史と世界交易のなかで占めた位置の大きさを思うとき、
このような「世界遺産」指定を受けたという意味は深い。
日本は山地が多い国土で平野部が少なく、資源に乏しい。
っていうように、小さいときから社会の教科書や、定型句で
言われ続けて刷り込まれてきているのですが、
しかし、金や銀などの生産や石炭などの炭坑跡など
鉱山資源というのは、日本は本当に恵まれていた国だとおもわされる。
この石見銀山は、戦国時代の日本に
当時の世界最強国家・ポルトガルが注目した最大の契機だったのだそうです。
かれらは世界中を巡って、銀の生産地を利権化することに
徹底的にこだわっていた。
中国との取引において、良質な銀が決済に使われてきたことを知り、
その銀のありかを尋ねて、そこで日本という存在を認識した。
それ以前には、金の生産もあって、「黄金の国・ジパング」という
そういった刷り込みもかれらにはあった。
ジパングを探し回った末に、たまたま難破した船が種子島に流れ着き、
戦国期ニッポンと大航海時代のヨーロッパとが遭遇した。
そこから信長・秀吉・家康という3代の歴史発展期が日本にもたらされた。
そういった時代を可能ならしめたものが、この石見銀山だったのです。
ヨーロッパ文明の注目を集めさせる最大の目玉商品が、
日本の国土から生産されていたのです。
当時の世界の銀の1/3くらいが、この石見で生産されていたそうです。
日本に資源がない、というのは石油資源のことであって、
このような希少金属資源においては、
日本は世界の経済発展において、きわめて大きな存在であった。
昔から「経済大国」であった、ということなのだと思います。
一説では、この銀の生産に欠かせない製錬技術・灰吹き法という技術は
おとなり朝鮮半島からもたらされたと伝えられていて、
いまでは、どうしてそんなことを教えたのか、と
あきれることに、かの国で反日世論の焚き付け材料になっているのだそうです(笑)。
やれやれ。
というようなことなので、ビートたけしさんの俗説に迷わされず(笑)
こういった雄大な世界全体の中での位置を把握して
機会があれば、見ておくべきサイトだと思いました。
Posted on 11月 22nd, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 出張&旅先にて
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