昨日、いつものように北海道神宮〜円山公園周辺を散歩。わたしの散歩コースでは周辺の駐車可能場所にクルマを駐車してそこから北海道神宮目指して一定距離を歩きます。で、散歩を終えて片道3〜4車線の北1条通りに面した歩道を帰宅中、 […]
Posted on 6月 20th, 2023 by 三木 奎吾
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昨日、いつものように北海道神宮〜円山公園周辺を散歩。わたしの散歩コースでは周辺の駐車可能場所にクルマを駐車してそこから北海道神宮目指して一定距離を歩きます。で、散歩を終えて片道3〜4車線の北1条通りに面した歩道を帰宅中、 […]
Posted on 6月 20th, 2023 by 三木 奎吾
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最近、脳科学者の中野信子さんがメディアでブレークしている。わたしはNHK-BSの歴史勉強番組「英雄たちの選択」の大ファンで、ここに彼女はときどき出演されている。で、歴史上の人物の脳の働き方目線でユニークな気付きを与えてく […]
Posted on 6月 19th, 2023 by 三木 奎吾
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昨日、週末の日課である山菜・アスパラ類の購入ドライブを果たして帰宅後、ギリギリ間に合ったWEB講演会Zoomに参加し始めたら、中学校時代以来の友人からのケータイ着信。ところがこのWEB講演会が異常な盛り上がり(笑)で、時 […]
Posted on 6月 18th, 2023 by 三木 奎吾
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聖徳太子絵伝の探究の余韻のなかに依然としてあります(笑)。2005年から「毎日更新」をスタッフから申し渡されて18年間、毎日欠かさずに書き続けていますが、そうすると自分の「数寄」な領域にテーマがどうしても偏っていくように […]
Posted on 6月 17th, 2023 by 三木 奎吾
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現代の日本の首都は東京。その前は京都。一時期武家政治の中心地として鎌倉も。そしてそれより前は奈良。さらに遡ると飛鳥に至る。飛鳥時代には都の概念は「天皇のいる場所」という意味合いであって、必ずしも都市という概念ではなかった […]
Posted on 6月 16th, 2023 by 三木 奎吾
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法隆寺宝物館「聖徳太子絵伝」記事、第17回目は最終回。聖徳太子さんの死とその後の国家宗教的な偶像化について。このシリーズの第一回はこちら→端正なモダニズム「法隆寺宝物館」探訪。 日本が仏教の広布を「鎮護国家」の基本に据え […]
Posted on 6月 15th, 2023 by 三木 奎吾
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法隆寺宝物館「聖徳太子絵伝」記事、第16回目は推古天皇と聖徳太子による政権構造について。このシリーズの第一回はこちら→端正なモダニズム「法隆寺宝物館」探訪。 日本史が中国の歴史とも朝鮮半島の歴史とも大きく相違するのは、天 […]
Posted on 6月 14th, 2023 by 三木 奎吾
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ここのところ東京国立博物館の法隆寺宝物館展示での聖徳太子絵伝の記事に集中していました。絵伝ということでわかりやすく、1000年の時を超え共有認識を得られることでちょっと過熱気味(笑)。 ということでクールダウンで本日は中 […]
Posted on 6月 13th, 2023 by 三木 奎吾
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法隆寺宝物館「聖徳太子絵伝」記事、第15回目は聖徳太子27才の時の妻問い。ほぼ同時に世を去った愛妃「膳部菩岐々美郎女〜かしわで の ほききみのいらつめ」との出会い。このシリーズの第一回はこちら→端正なモダニズム「法隆寺宝 […]
Posted on 6月 12th, 2023 by 三木 奎吾
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法隆寺宝物館「聖徳太子絵伝」記事、第14回目は聖徳太子の生きた時代の東アジア情勢と新羅との戦争について。このシリーズの第一回はこちら→端正なモダニズム「法隆寺宝物館」探訪。 聖徳太子が生きた時代(572-622年)は、中 […]
Posted on 6月 11th, 2023 by 三木 奎吾
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