わたしは全国の神社の参詣を趣味としてきています。
別段、神社本庁の回し者というわけではなく、古寺社巡礼的な
時空間に身を置くと、日本人的な「つながり」意識が再確認できて
ある種清々しい気分になれる、という程度の崇神意識からであります。
わが家の神棚空間にはそういった全国の神さまのお札が鎮座しています(笑)。
コレクションとして家人がわたしの死後も敬ってくれるかどうかは
定かではありません(笑)。そういう期待はありません。
高校生のときに学生運動で退学処分寸前になったときに
親が案じて子どもの時からの家業の手伝い・アルバイト名目で貯めてくれていた
お金を使ってヨーロッパ旅行に行かしてくれました。
それはそれでたいへんいい体験記憶であるのですが、
帰ってきてすぐに奈良京都を巡っていたことがあります。
なぜなのか、古い歴史をもったヨーロッパを巡るうちに
北海道人として、日本の伝統空間への強い民族性共感を求めたのかもと
そんな風に自己分析しています。「オレ、やっぱり日本人」意識。
そういうベースがあって、自分のルーツへの興味とか、
歴史への思いというようなものが強くなっていったのではないかと。
出張で各地を訪れると、時間の許す限りそういう空間を探訪し続けてきた。
で、関東ではどうしてもこの2社、鹿島神宮と香取神宮であります。
「鹿島神宮は茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社、常陸国一宮。
旧社格は官幣大社で現在は神社本庁の別表神社。 全国にある鹿島神社の総本社。
千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。
また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。」
一方で香取神宮は、
「香取神宮は千葉県香取市香取にある神社。式内社、下総国一宮。
旧社格は官幣大社で現在は神社本庁の別表神社。関東地方を中心として全国にある
香取神社の総本社。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに
東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。」
という次第。あまり一生懸命調べてもいない、というか、
縁起を読んでも、神代のことが続くので浮世離れしていてリアリティがない。
ただ「宮中の四方拝で遥拝」されることが興味深い。
京都でも東京でも、この2社は東の方角に位置するだろうし、
とくに鹿島の場合は、列島社会全体でももっとも東端に位置するのではないか。
<北海道が領土に組み込まれるまでの歴史時間>
古代の権力というのは農業の時間管理が大きな正統性根拠だと思う。
「このころに種まきして、このように農事をせよ」みたいな
そういうことが自然に行われたのではないかと思います。
東の端に位置する神域というものには、そういう要素があったには相違ない。
関東にまた縁が深まってきて、この2社にはご挨拶だけはしておいた。
現世利益的な邪な動機ではありますが、とりあえず敬わせていただき、
じっくりとその神威のなんたるかを探究したいと思っております。
・・・遙拝。
Posted on 2月 23rd, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪
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