写真は、先日の連休の時に十勝を走ったとき、
ふと足を向けた「開拓期古民家」展示の様子。
大正期か、昭和初期か、そのあたりなのでしょうか、
70〜80年前くらいの生活雑貨がたくさん展示されている中に
こういう「凧絵」を発見した次第です。
江戸から戦前までくらいの時間には、テレビはなくまだ映画もそれほどは普及せず、
開拓仕事に疲れた庶民は、どのような情緒生活を送っていたのか、
現代とは想像も付かないほど
娯楽情報が少ない時代背景の中で、
凧挙げという数少ない娯楽のイメージの中心に、
歌舞伎役者の絵柄が採用されていたのですね。
まぁ、いろいろな絵柄が、たとえば帯広の祭りの縁日などに並べられていて
その中から庶民が選択する絵柄として、
こういう絵柄がポピュラリティを持っていたのでしょう。
世阿弥は、人を惹き付ける要素として
「面白きこと,新しきこと、珍しきこと」という要素を挙げていますが、
この時代には、こうした歌舞伎が、そうした情緒世界をリードしていた。
人間はいつの時代も、日常考えていることはたわいもない
ゆれ動きやすい情緒的な情操の中にいるに違いない。
今の時代で言えば、難しい仕事や勉強やらのなかにいて、
「明日のあまちゃんは、どうなっていくんだろかなぁ・・・」と
そんな情念を持って生きているのが現実。
ほんの70〜80年前くらい、わたしたちの先人は、
こんな情念の空間に意識を解き放っていたものでしょうか。
こんな絵柄の役者の躍動感が、
かっこよさ、粋、などの憧れ刺激になっていたのですね。
ナマで、帯広に歌舞伎が来て興行したのかどうか、
あるいは、東京ではこんな刺激的な時空間があるのだという憧れが、
ひとびとを、日々の暮らしの苦しさから
意識だけでも逃れさせる力になっていたのでしょうか。
芸能の日本社会での大衆化って、面白いテーマなんですが、
北海道という、過酷な条件下で、
どんな役割をこうした芸能がはたしてきたのか、
興味を持たされる次第です。
それにしても、「あまちゃん」今日はどんな展開になるかなぁ・・・。
Posted on 8月 1st, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 古民家シリーズ
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