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時代を彩るパビリオンの必要性

日本という国は、どうも古代から「経済大国」だったように思う。
律令国家の建国時期、奈良の都の創建のころの
「大仏開眼会」には、アジア世界全域から多くの国賓が招かれていたそうです。
隣国・朝鮮からは皇太子の一行まで来日したという記録がある。
そこで披露された大仏には、奥州から産出した黄金が装飾され、
まさに「黄金の国」というメッセージが世界に向けて発信されたようなのです。
事実上、天武からスタートした王朝は
この大仏開眼会式典を主宰した聖武において結実を見て、
律令と仏教思想の組み合わせでの
「近代的国家」実現に立ち上がっていったのでしょう。
奈良京・大仏というパビリオンが、国家建設に果たした役割は巨大だった。
整理された条坊制の街並みを誇る奈良の都市、
キラキラとまばゆい光芒を放つ大仏は、
まさに「鎮護国家」をわかりやすい形で民衆に伝えたのでしょう。

その時代の技術が実現する粋のようなものって、
やはり、ひとびとのこころに沸き立つようなきらめきを紡ぎ出す。
今日で言えば、やはり東京スカイツリーということになるのでしょうか。
家族で行ってきましたが、
まぁ、なんとかは高いところが好きという典型であります。
関東平野全域が見渡せて、
日本一の広大な平野部という実感がはじめて具体的にしました。
群馬県の榛名山から茨城県の筑波山、さらに富士山までも
一望できるのです。
東日本大震災の時には、最上部アタリで作業していたみなさんは
振幅幅が数メートルだったということで、
さぞや肝を潰したことでしょうが、
まぁこういう建築物が合理的で先端的な技術を結集して実現する様は、
「進歩」ということを明瞭に感じさせてくれます。
そして、東京の街やひとびとの行動にも大きな変化を生み出しつつある。
高校生の坊主にとっては、
私たち年代が抱いていた「新幹線」などと同様の
ある時代意識を感覚させてくれるモノになっていくのだろうと思います。
こういう象徴を得て、
前に向かっていく方向感覚が沸き上がっていくのだと思います。
単純に、驚かせてくれた建物でした。

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