雨って、地球創世以来の太古から天から降ってきた。
人間が出現する以前から、生命はそれとどう対応するか、
それこそDNAレベルで「考えて」きた痕跡がわれわれの血肉に格納されている。
どう対応しようかと考えるのは、人類みな普遍の工夫。
人類進化が分化してそれぞれ民族で違いも生まれたのでしょう。
そのなかで日本列島という自然条件で暮らしてきて、
ヒマラヤ出発の偏西風と日本海の水蒸気がこの列島に多雨をもたらす。
結果としてこの地に存在する素材を活用して、雨対策の知恵が蓄積される。
石器時代の雨対策は、たぶん森林や洞穴に逃れることだったと思うけれど、
長い採集生活は、自然界への注意深い探査で素材の特性も見極めていたでしょう。
そういった探究心、工夫の結果、民族的な雨対応文化が生まれてくる。
定住は縄文の世から始まったけれど、漁撈と薪の周辺バイオマス採集に
最適な場所を選定して、生活拠点として家を建てたときその屋根材として
周辺に豊富な「茅場」を確保もしていたと想像できる。
定住革命と同時に「萱」などの繊維利用が開始されたのだろう。
アイヌ集落などでは、集落共同の茅場は屋根材資源確保で必須条件。
まずは家の雨対応策、その確保実現があってそこからさらに雨具が考案された。
日本では雨具は、ながく「蓑・笠」が一般的だったと言われます。
童謡で案山子を揶揄するのに
「天気も良いのに蓑笠つけて・・・」と歌われるほどに日本人の暮らしに根がらみ。
傘も古くから存在していたとされるけれど、なんといっても高価だった。
比較物価的考証では、江戸時代中期頃で1本2万円程度から
安価なものでも5-6000円程度はしたとされています。
それに傘は、手が1本それに取られるので「ながら」労働には適さない。
適度の体動の自由さと、雨水防御を両立させた「笠」はオモシロい。
そしてカラダ全体を覆って動ける「蓑」は、
その素材が藁などの繊維素材でまるで屋根素材そのものであり、
屋根をまとって動き回るというイメージが強かったのではと想像する。
日本列島は先述のように多雨が特徴的な文化圏だと思います。
そしてその気候風土に根ざして萱などのストロー繊維質が自生し、
それを束ねることで防寒性や防雨性を見出して利用し始めた。
そういった無数の先人の知恵にうたれる。
萱などの内部空洞繊維質素材は「防雨」性能の理由が以下のように言われる。
1)茅が厚く葺かれているので、下まで浸み込むのに時間がかかるから。
2)雨で濡れた茅が膨張して隙間を塞ぐから。
3)中のいろりの煙で茅に付いたススが雨をはじくから。
4)棒状の材料を束にしたものによる導水効果で表層だけ水が流れる。
5)ガラス管束を少しずつ隙間を空けた実験で雨漏り防止効果が実証。
・・・というような科学的な解明が進んできていて、深く納得させられる。
日本列島で人々が定住をはじめた縄文の世から
屋根と言えば萱葺きを最上と考える知恵があり続けたのでしょう。
蓑は、それとほぼ同様の発祥であっただろうと推定できます。
雨が非常に多い地域なので雨だから休み、というわけにはいかない。
早くから「水田」耕作を続けてきたので、雨中の労働機会が多かったのかも。
労働を確保するためには、アタマに対して「屋根」をかけて防御して
しかも両手を自由に動作させられる蓑は、革命的だったのではないか。
当たり前ですが、人類の知恵というのは急に進展するのではなく
先祖から連綿と工夫してきている様子がいかにも興味深いなぁと思います。
Posted on 11月 19th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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