やはり関東は人口も多いので情報量も圧倒的に多い・・・。
出張しての多数接触なので、情報収集型の動きになるのですが
しかし話しているウチに「縁」が膨らんでくる瞬間がある。
たまたま建材流通の企業を訪問したら、創業が明治4年で
日本の「建材ガラス流通業」の草分けだというお話しが飛び出して
ちょうどわたしのライフワーク「北海道住宅始原期」情報掘り起こしで
開拓期の北海道が日本全体でガラスの特異的最大消費地だったことと
連関することが判明してしまった(!)。
北海道内だけでは情報の掘り起こしには限界もあったのですが、
こういった新たな情報発掘でさらに研究が進みます。
いろいろと会話して情報を突き合わせると、知見が複層化して深まる。
たしかに「開拓使」も北海道と東京の二元機構だったので
その両方でいろいろな動きが同時進行したのが実際なのでしょう。
寒冷地住宅を本格的に開発しなければならなかった開拓使にすると、
その必要な建材について、外国からそれを「輸入」する必要性が生じる。
とくに伝統的日本住宅から「洋造」に建築基本方針を明確にしてからは
海外との交易関係が不可欠であり東京なり横浜なりでの情報収集が
待ったなしに発生しただろう事は自明ですね。
やがて明治末年頃にはガラス建材が国策として国産化されるのですが
それまではひたすら輸入材に頼っていたので、東京の流通事業者は
こうした情報について相当の蓄積があるに違いない。
あらたな研究の基礎的情報源が得られた思いがしております。
一方、写真はあちこち巡り歩いていた先の松井郁夫設計さんで
見せていただいた古建築の「瓦」であります。
漢字文字が5つ配列されていることはわかるけれど、
クイズのようで、どう読んでいいのかがわからなかったけれど、
「唐招提寺の瓦だよ」と教えていただいた。
真ん中の「律」はわたしもわかった。鑑真さんが唐から伝えたのは
「律」宗とそのあと名付けられたことがアタマに浮かんだのですね。
なので、その唐招提寺の寺院をあらわす一字として採用されたのでしょう。
瓦は長く使える建材とはいえ、千年も持つものではないでしょうから
いつのころに焼かれた瓦かはわかりませんが、
しかし、瓦の文字はその時代の人間が書いた文字なのでしょう。
先般来アタマを悩まされた「くずし字」ではない楷書なので
わたしたち現代人にもわかりやすい。
というか、現代書体の手本のように端正な書体。美しく読みやすい。
松井さんの説明ではさる建築の大家から譲り受けたということでしたが、
さすがに古建築の探求者、面白い学習素材を目にさせていただけた。
まわりの丸い突起はどういう意味合いがあるのかとか、
また外周縁部分に白く変色した部位が3箇所見えるけれど
それはどういったことが原因なのかとか、
素朴な疑問がたくさん湧いてくるのですが、
なんといっても「あちこち行脚」の出張の身の上なのでじっくり
疑問をぶつけられませんでした。
「今度来たら、夜じっくり教えてあげる」みたいな約束で
次の訪問先に向かっておりましたが、どうも疑問はアタマから離れない。
この「変色域」はどうも瓦運搬時に縄懸けしたときの擦過痕では?
というように推理があれこれ浮かんで止まりません(笑)。
印象的な丸瓦、ハンコのように頭にスタンプされた心境です・・・。
Posted on 2月 7th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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