きのうの産経新聞WEBを見ていて興味を惹かれた記事。
【正論・戦後73年に思う】と題されたコラムで、作家の堺屋太一氏が寄稿。
氏は、日本の小説家・作家、評論家、元通産官僚、経済企画庁長官、元内閣特別顧問。
内閣官房参与。様々な博覧会のプロデューサーとしても活動している。
「団塊の世代」というネーミングや、大阪万博のプロデュースなどで知られる。
民間から経済企画庁長官に就任されたとき、平成12年6月には氏の本名、
池口小太郎名で、NPO住宅110番という法人の設立認可をわたしは受けた経緯がある。
氏の著作はいろいろ読んできて、その独特の社会透視的な慧眼に膝を打たされてきた。
相当の高齢(現在83才)ということで、もう引退されたと思っていたら、
久しぶりに発言されたということで、熟読させていただいた。
そういう日本社会への予言者的スタンスから出てきたフレーズが「低欲社会化」。
う〜むと、ふたたび三度、膝を大きく打たされた次第。以下要旨引用。
〜低金利の金あまり社会を提示しても、消費に動く人も少ないし、起業に走る者も少ない。
この国の人々の願いは、大企業の正社員になって安定した収入を定年まで得るか、
せいぜい息子に医師免許を取らせて勤務医として働き続けるようにするかが希望だ。
事業を起こして財を成し、他人を使う身になろうと希望する者はごく少ない。
それは恐らく、この国では起業者や多額納税者に対する尊敬が、
きわめて限られているためでもあろう。
資本主義の社会では、業を興して財を成した人々を尊敬もし、崇拝もする。
だからこそ、あえて困難と危険を冒しても起業する者が出る。
そして、そんな起業家のおかげで世の中が進歩し、豊かになる。
ところが現在の日本では、起業成功者を尊敬しないし、優遇もしない。
これでは危険を冒して起業に走る者が少なくなるのも当然だ。〜
・・・そういうことか、と強く腑に落ちるくだり。
若い世代のひとたちと接すると、こういったメンタリティが強く垣間見える。
〜要するにこの国は、奇妙な人間関係の谷間で、資本主義体制になり切れなかったようだ。
それがこの国の短期志向となり、官僚主導を産んだ。
「社会の重し」ともいうべき「代々の有産階級」を欠く日本の構造的な失敗である。〜
財閥解体というGHQの施政残滓はいまもこの国を強く規定して、
世界に稀有な高相続税社会を作り出して、長期の視野と思考を持って
日本民族社会全体をじっくりと考える有産有識の士が生まれてこなかったとされる。
〜かつてイギリスの首相を長期間務めたマーガレット・サッチャー氏はいった。
「金持ちを貧乏にしても、貧乏な人が豊かになるわけではありません。それにもかかわらず
金持ちを貧乏にしたがる人がいるのは嫉妬です。嫉妬は人類最大の劣情です。
劣情に基づく政治は悪い政治です。私たちは嫉妬の政治から逃れねばなりません」〜
まさにいま、既成の新聞メディアやテレビなどが狂奔しているのはこの言葉通りだと思う。
それにしても「低欲社会化」とは、よくぞ言い得ていると思わされる。
さてこの社会の中で、どのように「よりよい」ものを生み出していくか、
大きなテーマを突きつけられたような気がしています。
いつまで掲載されているかはわかりませんが、産経WEBでの記事はこちら。
Posted on 8月 16th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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