昨日、上田に宿泊して午後3時の新幹線で
長野駅を出発するまで、束の間、長野でみたかった地をいくつか探訪。
そのなかでも、この上田市郊外の「無言館」はいちどは訪れたかった場所。
なぜこの無言館の存在を知ったのか、いまは定かには思い出せない。
ただ、戦没画学生の描いた絵を収集し、展示するというコンセプトには
抗いがたい魅力というか、惹かれるものを感じさせられていました。
絵を描くということは、
アルタミラ洞窟の絵画をみて驚かされるように、
人類普遍的な共感を覚えさせられるツールだろうと思います。
わたし自身も、子どもの頃、絵を描くと言うことに強く惹かれていた。
なにかを見て、感じたことを対象化する営為ということですが、
「なにをどう感じるか」ということでは、およそ人間であれば共感が可能な手法。
そこにどんなものが投影されていくかが、
その作品の味わい,魅力というものだろうと思います。
19世紀、20世紀は国民国家という概念が沸き立って、
その結果としての国家間での戦争に人類が否応なく引きずり込まれた世紀。
国民国家は、外側から見れば自らの利益追究に専心する「帝国主義」。
国民教育というプロセスを経て、その一員としての刷り込みの中で
若い世代は徴兵制度によって戦地に赴くことが強制された。
そういう時代の中で、絵を描き続けていた画学生たちが
多く戦地で命を落としていた。
恋人をモデルにした裸婦画を描いていた最中、
「あと5分、10分、この絵を描き続けていたい」という思いを持ちながら、
出征兵士を送る日の丸の小旗に送られざるをえなかった。
そうした若い画学生たちの裸婦画から、痛切なものが伝わってくる。
世間の眼に身をちぢめながら、
裸婦画のモデルになっていた女性たちもまた、そうした恋人・夫の思いを受け止め
描かれたエロスは痛切で、人間の本然を明瞭に伝えてくれる。
こんなにも瑞々しい感受性のまま、戦地で命を落とさざるを得なかった。
そして、そうした画学生たちが残した作品を
戦後50年間、守り続けてきたひとびとの思い。
絵がそのまま、描いた人間そのもののように思われて持ち続けていた。
傷んでしまった絵をわたすときに、その絵を描いた肉親に「申し訳ない」と思うこころ。
申し訳ないというコトバにも深く打たれる。
しかし、その残されたはるかな孫の世代の人々も、
「若いおじいちゃんの絵が大好き」だという。
絵がなぜ、人間を魅了し続けるのか、
そこにやはり命が宿るのだと、思いが至っておりました。
たくさんの美術に接してきたけれど、
いちばんなまなましく人間を感じることができた美術館鑑賞でした。
Posted on 5月 15th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 出張&旅先にて, 日本社会・文化研究
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