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雪かきの社会性認識効果

写真はわが家の前の様子であります。
今年の冬もだいぶん、峠を越えてきて
もう一息といった頃合いになって参りました。

わたしが家を建ててからもう20年になるのですが、
戸建て住宅を自分で建てるということは
それにともなうさまざまなことを引き受けることだと感じます。
それは地べたに住む、という感覚をいやおうなく呼び覚まされ、
そしてその地域に暮らす、ということを自然に思い知らされることです。
戸建て住宅を持つまでは、マンションに住んでいたのですが
そういうときには、やはり仮の家という感覚から抜け出せない。
たとえば、その典型が雪かきの問題。
マンションでも、やらねばならないことはあるでしょうが、
戸建ての持ち主の感覚とは全然違いがあると思います。

現在、わたしは札幌市西区山の手という地域に住んでいますが、
目の前に中学校のグランドが広がっていて
比較的に空地に恵まれている。
写真左側に雪山が見えますが、これは
中学校のグランドにそって歩道部分があり、そこが
冬になると堆雪場所になってくれるのですね。
で、こちらがわから雪を移動させるわけです。
わたしの家の間口は16mほどなので、
その前面から雪を排除して、雪山に持っていくのが除雪作業。
両隣や近隣の方たちはみんな一生懸命に除雪作業にあたっている。
中学校の生徒さんたちの通学路にもなっているので、
そういう利便も考えての、半分は公的な作業でもあると感じています。
私と、公的な部分の境界が、この雪かき作業では明確ではない。
まぁ、お隣さんとのあいだでは、なんとなく作業分担の境界認識はある。
パブリックという概念がわかりやすく見えてくる部分。
戸建て住宅生活には、こういう道義的な自然法的な概念共有がある。
お隣がマンションという場合では、
そのマンション居住者集合体と、わたしとが責任範囲的にはつりあっている。
そして場合によっては、集合体的である部分で、
より個に近いこちら側が
社会的な共同責任について、より受忍的にならねばならないことすらある。
私の事務所では、マンションが隣なんですが、
人数的には比較にならないほどの違いがあるけれど、
こういう公的な責任範囲では、
個人がそういう対等性を負担しなければならない。
まぁ、こういうパブリックというものの概念を
知らず知らずに知覚できるというのは、
たとえば子どもの教育では有意義かも知れませんね。

最近、コミュニケーションの問題で
他者とのコミュニケーションはひたすらメールだけ、
というようなひとのことを見聞きいたします。
で、こういうパブリック概念教育、というようなことが不足しすぎていると
感じさせられることが多くなっています。
自分のためと同時に、他者のためにもなっている、
というような体験教育を、現代社会は必要にしてきていると思うのです。
いかがなものでしょうか。

北のくらしデザインセンター
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